No.47
豊洲の最後の忘れ形見、逝く
○…空前のヒットを飛ばしている「鬼滅の刃」の時代背景のころ(大正)に私の祖父・林豊洲は妻・波津女との間に7人の子供(男2、女5)がおり、人生の絶頂期を迎えていた。その生き残りの5女、照代(94)=幕別町旭町、元林野庁林業講習所北海道支所長、故澤登善高夫人、写真前列右から2人目=が10月18日死去、一家9人が鬼籍に入った。
○…伯母はピアノがうまく、私はその伴奏で童謡を歌ったものである。傍らには道立帯広高等女学校(三条の前身)の親友、紫竹昭葉が常にいた。長女の淑恵=幕別町、薬剤師・景山信夫夫人=は「八十歳ころまで毎日ピアノでシューマンの“流浪の民”、ショパンの“別れの曲”を歌いながらひいていた」という。
○…祖父・豊洲の最後の忘れ形見、伯母を亡くした喪失感は、引き継いだ事業が順調なだけに大きい。「日だまりのように温かい、そばに居ると、ホッとするような母でした」(淑恵)の言葉に励まされ、ペンを走らせた。(敬称略=顧問・林光繁)