耕土興論「和多田進(ジャーナリスト) 東京日記(546)沖縄から〔2〕」
本格的に私が沖縄の問題を考えはじめたのは18歳のころであった。忘れもしないが、1964年5月、全学連再建を目ざす「平民学連」の代表のひとりとして、東京・大田区から川崎・横浜に向けて「沖縄返還行進」の第一陣を担ったのである。 そのとき外国であった沖縄への渡航にはパスポートとビザが必要だったが、..
本格的に私が沖縄の問題を考えはじめたのは18歳のころであった。忘れもしないが、1964年5月、全学連再建を目ざす「平民学連」の代表のひとりとして、東京・大田区から川崎・横浜に向けて「沖縄返還行進」の第一陣を担ったのである。 そのとき外国であった沖縄への渡航にはパスポートとビザが必要だったが、..