耕土興論「和多田進(ジャーナリスト) 東京日記(516)緑雨、百閒、外骨」
井上ひさしさんがまだ元気だった時分のことである。まじまじと私の顔を見つめて(と、私には感じられたのだが)、「そうですか、ワタダさんは齊藤緑雨だったのですねぇ」とひとり納得したように呟かれたことがあった。話題が必ずしも緑雨に関わっていなかったから、少し私は驚いた。井上さんのその呟きのことがいまも気..
井上ひさしさんがまだ元気だった時分のことである。まじまじと私の顔を見つめて(と、私には感じられたのだが)、「そうですか、ワタダさんは齊藤緑雨だったのですねぇ」とひとり納得したように呟かれたことがあった。話題が必ずしも緑雨に関わっていなかったから、少し私は驚いた。井上さんのその呟きのことがいまも気..