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広小路で109年、演歌の殿堂「浅原栄陽堂」閉店へ 「やりきった思いと寂しさと」

吉田社長が入院し、店を守る陽子さん

 帯広市広小路のCDショップ「浅原栄陽堂」(大通南9、吉田克司社長)は、来年1月25日の営業を最後に閉店することを決めた。創業から109年、近年は4代目の克司社長(75)と取締役の妻陽子さん(75)で店を切り盛りしてきたが、吉田社長が体調を崩して入院、高齢となり後継も不在だった。現存する同業としては道内でも古く、吉田夫妻は「やりきったのと、寂しさと両方の思いがある」と話している。(佐藤いづみ)

1月25日閉店へ
 同店は1915年、靴店などを営んでいた吉田繁之助氏が現在地に「吉田栄陽堂」を開業。蓄音機や万年筆、レコードなどを販売した。現店名になったのは初代が死去し、親戚に当たる浅原幹太郎氏が2代目に就任した46年だ。

 当時の資料などによると、繁之助氏と幹太郎氏で事業を拡大、昭和初期には現在の平原通や釧路に支店も出した。幹太郎氏は49年に死去し、次男の英(ひでる)氏が3代目に就任。歌手の実演興行やレコード鑑賞会を展開するなど、業界でも存在感があったとする。52年に有限会社とした。

昭和3(1928)年ごろの栄陽堂(帯広百年記念館所蔵)

 吉田社長は帯広生まれだが、初代繁之助氏との血縁はなく、英氏の長女陽子さんとの結婚が縁。横浜でサラリーマンをしていた82年に帯広に戻り入社した。店で修業し、89年の英氏死去後、社長に就任した。

 陽子さんは「成人するまでは、現店舗の上が住居だった。昭和30、40年代は店も活気があり、従業員も2桁いた」と振り返る。家電などを扱っていた時期もあったが、80年代からは音楽関係に特化、レコードからカセット、CDと変遷してきたが販売を続けた。ジャンルは演歌や歌謡曲だけではなく、自主制作の演歌なども取りそろえ、友の会ポイントカードは今も続ける。

現在は入院中だが、「まちづくりには今後も関わる」と話す吉田社長(2022年7月撮影)

七夕飾り手掛け
 同社は代々広小路商店街の活動にも力を入れてきた。代表的行事の七夕まつりでは、コロナ前まで毎年趣向を凝らした飾りを作り続けた。吉田社長は2019年から理事長も務める。

 「業界の環境が変化し、ピーク時(1989年前後)より売り上げが半分ほどになった」(陽子さん)とし、数年前から閉店を視野に将来を検討。一時は公的機関と事業承継に動いた時期もあったが、吉田社長が神経性の体の痛みが増し、夏に入院したことを機に閉店を決断した。2007年から続けたネットショップは6月で閉めた。

 現在、1人で店を切り盛りする陽子さんは「社長の知識を頼って鼻歌やキーワードだけでCDを買い求める常連客も多く、交流の場になっていた。申し訳ない気持ちもある」とする。

「まちづくり、今後も」
 来月中旬からは閉店セールも企画。吉田社長は「今は前向きな気持ち。退院後、できる範囲でまちづくりに関わりたい」と話している。


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関連写真

  • 入院前の吉田社長。「今後もまちづくりに関わりたい」と話す=2023年撮影、陽子さん提供

    入院前の吉田社長。「今後もまちづくりに関わりたい」と話す=2023年撮影、陽子さん提供

  • 吉田社長が入院し、店を守る陽子さん

    吉田社長が入院し、店を守る陽子さん

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