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80年ぶりの建て替え祝う 幕別・西忠類神社

地域の人の寄付によって建て替えられた西忠類神社

 【幕別】西忠類神社(町忠類公親)が、地域の人の寄付によって80年ぶりに建て替えられ、15日、同神社で落成式・祝賀会が行われた。地域の約30人が集まり、神社を中心とした地域のさらなる発展を願った。

 同神社の周辺地域は大正から昭和の初めにかけ開拓が始まり、1930年に国鉄広尾線忠類駅が開通して急速に発展。1936年、白銀台スキー場中腹にあった忠類神社が現在地に新築造営される際、岐阜県から入植して農業を営んでいた杉坂仁太夫氏(故人)の申し出で、もともとあった古いお宮を「地域の守り神に」と、西忠類神社として移転させた。

 以来、毎年元旦の参拝の他、6月15日の春季祭典、9月15日の秋期祭典など地域の伝統の中心となってきた。戦時中には出征する兵士や軍馬が参拝に訪れ、無事と武運を祈ったという。この80年間に2度の大改修を経て風雪に耐えてきたが、老朽化が激しく、地域の45人の寄付を受けて建て替えられることになった。

 仁太夫氏の長男の常太郎氏が「ぜひ早い機会に」と、改築を呼び掛けてきたが昨年、102歳で亡くなった。式典では仁太夫氏の孫で氏子代表の杉坂達男氏(75)=元忠類村議会議長=が「長年の願いがかなえられ、この上ない喜び。皆さまの温かいご支援のたまものと、心より感謝申し上げる」とあいさつ。「父にも見せてあげたかった」と、常太郎氏の遺影も持参した。

 参列者は玉串を奉献し、餅まきを行った後、祝賀会では焼き肉を囲んで新社殿の完成を祝った。社殿前にはこま犬2体も新たに造られた。(眞尾敦)

関連写真

  • 1936年に移設された当時の西忠類神社

    1936年に移設された当時の西忠類神社

  • 地域の人の寄付によって建て替えられた西忠類神社の落成式

    地域の人の寄付によって建て替えられた西忠類神社の落成式

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