ヒツジの公務補さん、3月で退職 鹿追上幌内小学校
【鹿追】鹿追上幌内小学校(稲葉珠樹校長、児童11人)の公務補で、同校の教育の特色となっているヒツジの飼育を20年間にわたって支えてきた中尾英二さん(70)が3月で退職する。子どもたちに命のぬくもりを伝えてきたヒツジとの別れを惜しみながら、最後の出産を見守る。
中尾さんは1993年、3人の子を自然豊かな場所で育てたいと帯広市から鹿追町に移住し、同校の公務補に就いた。当時、同校では動物を飼っていなかったが、2001年に当時の教頭がヒツジの飼育を提案。周辺に牧場が多いためPTAから口蹄疫(こうていえき)など感染症に対する懸念の声があり、中尾さんを含め教職員にも戸惑いがあったという。
町瓜幕の農家出身で子どもの頃からヒツジや牛、馬に親しんでいた中尾さんだが、適切に飼育するには知識が必要と考え、教員と2人で福島県まで研修を受けに行った。畜産試験場のサポートを受けることで周囲の一定の理解を得、同年7月、試験場から最初の2匹の雌がやってきた。
児童らと一緒に小屋を建て、学校農園に柵をめぐらせて放牧地を整備。児童は毎朝の餌と水やり、健康観察を欠かさず、5月には毛刈りを体験した。数年おきに秋には周辺の羊牧場から雄を借り受け、翌冬には子ヒツジが誕生した。
子どもたちは日々ヒツジと触れ合い、時には生まれたての子ヒツジを間近に見たり、交尾の場面に出くわすことも。死産に心を痛め、世話をしていたヒツジが死ぬと、中尾さんが何も言わなくても野の花を手向けて悼んだ。
「子どもたちはヒツジを中心に命のつながりを学んできた」と稲葉校長。中尾さんは「ヒツジのおかげで子どもたちは、動物だけでなく人間に対しても優しく、思いやりのある人になれたと思う」と話す。
全校児童や教職員が飼育に関わってきたとはいえ、健康管理や休日の世話、繁殖計画など中尾さんに頼る部分は多大だった。
現在は3匹の母ヒツジがおり、1月下旬から2匹に子どもが生まれた。残る1匹も間もなく出産予定で、中尾さんが命に対する責任を全うする日が近づく。中尾さんは「大変さもあったが、見ているだけで癒やされた」と振り返り、「退職後もどこかでヒツジを飼っているかも」と笑顔を見せる。
中尾さんが退職後、これまでと同様にヒツジを飼育し続けることは困難で、同校では来年度からの在り方を模索している。(丹羽恭太)