「役割が増す可能性もあるのに…」 根室本線新得―富良野間の廃止決定 複雑な思いの関係者
【新得】JR根室線の富良野-新得間(81・7キロ)は、約1年後に鉄路を廃止、バス転換することが決まった。同線は滝川-根室をつなぎ、営業キロ数は443・8キロと、JR北海道の中では最長の路線で、その一部がぷっつりと途切れてしまうことに。2016年の台風被害が復旧されないまま、同区間は100年以上にわたる歴史に幕を下ろす。関係者の胸中に複雑な思いが交錯している。
1900(明治33)年に富良野駅(当時は下富良野駅)が開業し、新得までつながったのは1907年(旧狩勝線)。58年から機関助士、機関士、運転士を務めた大崎和男さん(84)=新得町=は、蒸気機関車(SL)の時代から根室線で旅客と貨物を運んだ。
大崎さんは「国鉄に入った昭和30年代は物を運ぶと言ったら鉄道。大量輸送できるのは鉄道しかなかった」と振り返り、「鉄道は運転士1人で何百トンもの貨物を運ぶ。今はトラックが物流の中心だが、運転手不足と言われ、燃料も高騰している。ますます貨物輸送で鉄道の役割が重要になってくると思っているだけに、根室線が途切れてしまうのは残念で寂しい」と話した。
存続に向け活動している、町内の「根室本線の災害復旧と存続を求める会」(平良則代表)は、富良野や北見などの団体と連携し、JR石勝線災害時の代替路線や、鉄道で道東や道北などを周遊観光することで観光・経済振興につなげられる-と国や関係機関に訴えてきた。
同会の佐野周二事務局長は「鉄路廃止が決まったのは非常に残念。今、国会でローカル線の活性化について論議している。国や道は今一度、鉄道の役割、在り方を考えてほしい。今後、物流の中で鉄道の重要性は必ず高まる」と力を込めた。
富良野-新得間は、新得-東鹿越(南富良野町)間が、2016年8月の台風災害で土砂流入など甚大な被害を受けた。同年11月にJR北海道は、同社単独で維持することが困難な「赤線区」を発表。富良野-新得間も含まれ、持続可能な交通体系を地域と協議していくとした。
当初、沿線自治体は災害で被害を受けた鉄路は復旧することが基本という姿勢を示し、災害復旧と存続を同社や国などに要望してきた。存続に向け国の支援が受けられない見通しとなり、運行を続ける場合は災害復旧費とは別に年間約11億円を沿線4市町村に負担してもらうことが必要と、同社が示した。
4市町村が巨額な費用を拠出することは困難で、生活路線として通学や通院などで利用している南富良野町の高橋秀樹町長は「減便となり、東鹿越駅で代行バスから列車に乗り換えるのは不便だとの声が町民から出ていた」と記者会見で明かした。
浜田正利新得町長は「鉄路を残せられるのなら残したかったという思いはある。願いがかなわず残念。市町村だけでなく広域で論議しないといけない問題」と、鉄路を存続できない無念さをにじませた。その上で、「今後も新得駅は石勝線と(東に向かう)根室線、都市間バスの停留所として公共交通の中心であり、重要性に変わりなくまちづくりを進めていく」と話した。(平田幸嗣)