「横綱も弟子 柔道指導40年 少年団の熊谷監督」 まちマイ広尾編
「やんちゃな子も熊谷先生を町中で見掛けた途端に背筋がピンッとなる」「親にはいいけど、熊谷先生にだけは連絡しないで」-。広尾町内では、悪さをした子供たちに関するこんな話が伝説のように語り継がれている。
第61代横綱北勝海の八角親方(本名・保志信芳さん)も鍛えた広尾柔道少年団の熊谷隆正監督(62)が、今年で指導40年を迎えた。今も変わらない熱血漢は大きな愛情を持ち、厳しい目で町内の子供たちを指導する。
広尾町生まれ。広尾中時代に柔道と出合い、広尾高卒業まで打ち込んだ。東京都内の専門学校で測量技術を学び、帯広市内の企業に3年間勤務後Uターン。22歳から指導者を務め、1987年には全国少年大会団体戦で3位入賞へ導き、同年の堤敏広さん(当時6年)は個人戦で同少年団初の全国覇者となった。北勝海は小学4年から中学2年まで在籍した。柔道の教え子は430人以上に上る。
「負けてもいい。諦める子供にしたくない」がモットー。スポーツや遊びの楽しさを地域で伝え、巣立った子供は多方面で活躍する。「俺の教え子は医者も坊主も横綱もいるからな」が自慢だ。
カヌー3艇を所有し、スキューバダイビングなど「遊びの免許は何でもある」という熊谷監督は、遊びの達人。自然と児童が集まり、近所の川で魚取り、今の時期なら焼きいもにも興じている。柔道少年団に所属していなくても、あいさつや言葉遣いなどは徹底する。「武道の礼儀は大人になり、社会に出ても通用する」という強い思いからだ。
同少年団には3歳~中学3年生18人が所属する。初心者には先輩や熊谷監督自身が投げられ役を買って出て、「まず勝つ楽しさを知ってもらう」という。負けても前に攻める姿勢があれば評価。「広尾は小さな町。一度出ると帰って来てもなかなか勤める職場がない。強い大人になってほしい」と将来を思う。
ある保護者は話す。「北勝海の師匠というより広尾のお父さん。まだまだ頑張ってもらわないとね」。(小寺泰介)