冷害乗り越え日本一の生産地帯に 十勝農業を語る座談会
1979(昭和54)年に始まった「農業ガイド」。1000号を迎えるに当たり、十勝毎日新聞社では40~70代の農業者4人に集まってもらい、掲載開始当時を振り返りながら、現在との比較や十勝農業の未来像について語る座談会を開いた。十勝毎日新聞社の高橋幸彦編集局長を司会に、畑作、酪農、女性、農業団体などそれぞれの立場で、十勝農業の過去と未来を語り合った発言要旨を紹介する。(文・眞尾敦、津田恭平、写真・金野和彦。文中敬称略)
◆矢野征男氏(77) 芽室町・畑作
1938年芽室町生まれ。川西農業高校(現帯広農業高校)卒。JAめむろ組合長を1979年から30年間務め、90年ホクレン副会長、99~2008年同会長。
◆山口良一氏(61) 豊頃町・酪農
1953年豊頃町生まれ。池田高校卒。2012年から組合長。総頭数650頭(経産牛380頭)を飼養する大規模酪農家。13年度は生乳3770トンを出荷。飼料畑は約160ヘクタール。
◆外山聖子氏(56) 帯広市・畑作
1959年宮城県生まれ。酪農学園酪農短期大卒。結婚後、農業(帯広市美栄町、35.6ヘクタール)に。2004年に夫の勝則さん(48)が急逝し、4人の子供を育てながら、農場を守ってきた。
◆平和男氏(49) 新得町・畑作
1965年新得町生まれ。道立農業大学校(本別町)を卒業し86年に就農。経営面積は33.5ヘクタール。2004~05年道農協青年部協議会会長、05年全国農協青年部協議会副会長
◆司会 高橋幸彦十勝毎日新聞社編集局長
■兼業から専業へ転換 矢野氏
■バブル乗り規模拡大 山口氏
■産直で消費者と交流 外山氏
■近代化の夜明け実感 平氏
司会 農業ガイドが始まった昭和54年。そのころの十勝農業はどんな状況でしたか。
馬を追い手作業
矢野 昭和54年にJAめむろ組合長に就任した。30年代、私が農業に就いたころは、馬の尻を追いながら、全て手作業。30年代後半からようやくトラクターが導入され、画期的な第一歩だった。40年代半ばから、ほとんどの農家にトラクターが入り、農業を続けるには、規模拡大に相当な投資が必要だった。
農業をやめる人と、規模拡大、機械化した人が分かれてきた。離農の苦しみを経験しながら、大きく伸びていった時代だと思う。54年は酪農で初めて生乳の生産調整が行われた年でもある。組合長になって最初の仕事は牛乳の生産調整で、酪農家の皆さんからお叱りを受けた。
50年代に大きく変わったのは、豆作中心から根菜類、麦が伸びた。経営形態も酪農、畑作の兼業から、専業への変わり目だった。
飼料確保に苦労
山口 昭和50年代は私の牧場も経営規模が小さく40~50頭だった。58年には史上まれにみる大冷害があり、粗飼料の確保には本当に苦労した。後半はバブルにも乗って規模拡大を進めた。高性能な機械を導入し、毎年、10~15頭ずつ増頭した。当時の十勝の平均は経産牛20~30頭、全部で50頭くらいが普通だった。
政策影響回避に
外山 昭和59年に帯広に嫁いだ年が、農産物の政策価格(政府が決定する政府管掌作物の価格)が一番高かった。夫は海外で農業実習し、サトウキビ原料の砂糖に押され、米国でビートの作付けがなくなった現実を見て、十勝にもそういう危機があるかもと考えていた。どう付加価値を高めるか、産地直送も視野に入れていた。60年代に入り、政策に左右されない部分を取り入れようと、消費者と直接関わる産地直送を始めた。
豊凶差が激しく
平 あさま山荘事件(昭和47年)の時に大雪で、馬そりで学校に行った。50年代は一気にトラクター導入が始まり、子供心ながら農業近代化の夜明けを感じた。
夜明けとともに光と影の濃淡がはっきりした時代だった。小豆が赤いダイヤと呼ばれ、市況が高くなると1年で格納庫が建ち、機械が新しくなった。一方で、豊凶の差が激しかった。人知ではいかんともしがたい、つらく苦しい時期もあった。地域の中で、刃こぼれするように農家をやめる人もいた。
畑作、酪農の兼業が多く、自分の農場も当時は牛を飼っていた。作業中にフォークを足に刺してしまい、父から「イヤイヤやってるからだ」と怒られ、痛さよりも情けなくて泣いた思い出がある。
■経営者が若手中心 山口氏
■グローバル化進展 平氏
■女性が一翼を担う 外山氏
■発展は努力の結果 矢野氏
司会 当時と比べ、今の十勝農業はどうか。
努力に応える職
山口 酪農は個体販売中心や放牧など、いろんな形態に取り組んでいる。十勝の農業生産額は農協以外の取扱額を含めると、3000億円を超える。酪農・畜産も生産額拡大に大きく貢献してきた。
後継者不足や高齢化が報じられているが、十勝は全然違う。若者が高い所得を得られない経済環境の中、家業の農業と比較し、農業に戻ってきている。経営者も40代中心と若い。若い世代には経営感覚をいち早く身に付けてほしい。農業は努力すれば応えてくれる素晴らしい職業だ。
農業教育が大切
平 自分の農場では約20年前から、当時珍しかった体験農園や観光農園に取り組んでいる。今、アジア経済がとても元気で、中国、台湾など東アジアの人たちの観光やビジネスにつなげるため、スタートラインに立ったところ。観光資源という観点から、今までにない十勝農業のグローバル化が進もうとしている。
平成13年に道農協青年部協議会で導入した子供農業体験が定着してきた。当時小学生だった子供が、結婚して子供を育てる世代。植えた種が芽吹こうとしている。農業は大事、素晴らしいと思ってもらうには教育が大事だ。
外山 稲作と和牛肥育・繁殖農家に生まれ、主食の米は食べてくれる人を想像しやすいが、嫁いだころ、十勝の農業は食べてくれる人を意識しづらいと感じた。現在は大規模化の一方で、ファームレストランなど、より消費者に近い農業となった。わが家では、都市と農村の交流事業などをきっかけに、20年以上前から子供たちを受け入れ、農業体験に取り組んできた。食べ物をどういう人たちが、どう生産しているかを体験を通して理解してもらえるから。
消費者が後継者
農業後継者育成は、担い手育成だけではない。消費者一人ひとりが農業後継者と考えている。女性が十勝農業の一翼を担っている。女性自身が意識改革し、経営のパートナーという強い意識を持つことが発展に重要になっている。
冷厳環境を克服
矢野 馬の尻を追いながらの農業、戦後の親世代が苦労してきた時代も子供ながらに知っているので、今の十勝農業は素晴らしい発展を遂げた。厳しい冷厳な環境で、皆さんが少しでもきょうより明日、明日よりもあさってと、一つひとつ努力してきて積み上げた結果だと思う。
■愚直に土に向き合いたい 平氏
■女性の感性で農村を強く 外山氏
■TPP受けて立つ意気で 山口氏
■個性と自分の考え大切に 矢野氏
司会 十勝農業の未来予想は。
自由化へ理論武装
平 もう100年土作りに取り組むと、相当面白い時代になる。手を抜かず、愚直に土に向き合う農業者でありたいし、後継者もそう育てたい。
TPPは反対の声が大きいのは当事者として当然。ただ、自由貿易を否定しているわけではない。得意な分野や神経質な分野が各国にある。そこに配慮した上で、グローバル化のルールを出すべきだ。
産地の生産責任、供給責任を果たすことが前提だが、原料型作物の産地だからこそ、(自由化などに対して)理論武装は必要。今、JA青年部が取り組んでいるポリシーブック(政策集)も、大きな成果になると確信している。
望む望まないは別にし、これからも規模は拡大し、十勝でさえ、限界集落が出てくることは避けては通れない。農村振興と産業振興の高度な両立は簡単に答えを見いだすことのできない古くて新しい問題だが、体験農業やファームステイが、そういった課題に応えるヒントになると思う。
若い感性生かして
外山 女性ならではの感性を、農業・農村の中にさらに吹き込むことで農業・農村はより力強くなっていく。TPPに負けない十勝を皆で一緒につくりたい。
若い農家女性は専業主婦が多く、両親と別居が増えた。私たちの時代は同居で、家族と話しながら学ぶ助走期間があった。今は情報を夫が伝えないと、若妻は農業経営について知り得ない。経営者のパートナーとなるとき、すぐ戦力となるのかが大きな課題だ。JAや行政が若い女性を教育する仕組みが必要ではないか。若い人は農業以外の仕事に就いてから、嫁ぐ人がほとんど。農業・農村を別の視点から捉える感性を持っている。その感性を生かし、経営のパートナーとしての資質向上を図るのが大切だ。
農業は生産にとどまらず、6次産業化や食や景観を生かした観光などまだまだ可能性がある。可能性に向かってチャレンジしていきたい。
農業生産額伸びる
山口 TPPを含め心配はあるが、十勝は日本の先頭を走っている。十勝の農業がつぶれるようなら、日本の農業はありえない。堂々と受けて立つつもりで、前向きに取り組むべき。
十勝全体を見ると、農業だけ強ければいいわけではない。TPPなど自由化は観光、産業含めて大きな影響を受ける。農村景観を含め農業と観光がうまく組み合わさり、海外からの観光客誘致につながれば、十勝はさらに発展する。
酪農はそれぞれの考え方で将来を目指すべき。十勝は全てニュージーランドのような酪農ができるわけではない。後継者が戻るかは、しっかりした所得があるかどうか。これからも農業生産額は伸びていく。心配はしていない。
困難に打ち勝とう
矢野 農業が好きで、父親の後を継いでやってきたが、娘2人が農業を継がないので、妻と2人で農業を閉じることになる。妻と始めたときから理想はあった。若いころに訪れたヨーロッパの印象が強い。100年以上たった農家の住宅、窓に花があり、農業がつくる景観が素晴らしかった。農業でしかできない、他の職業にはできない農業のよさがある。何とか自分の代でも理想を実現したいと思っていたが、たまたま農業団体で長く仕事をしてしまい、できなかった面もある。
十勝の農業はJA取扱高3000億円を目指していくとは思うが、農家の経営は一人ひとり違うわけだから、独自性を持って自分の考えで取り組んでほしい。個々の判断の集大成が十勝の農業だ。
国際化などの困難に打ち勝っていくには経営能力、技術に加え、自ら手を汚して体を使っていくこと、この三拍子が大切だ。
※本紙通常表記では、年号は西暦ですが、各氏の発言を尊重し、座談会文中は和暦表記としています。
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