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夢にフライCA20年 エア・ドゥ勤務 浦幌出身の恩地智里さん

「とかち帯広空港に着陸する際の景色はやはり格別。家族で帯広へ行くと必ず訪れた六花亭本店の喫茶室が特に思い出深く、自分に戻れる場所。今でも帰省時に足を運ぶ」と話す恩地さん

 浦幌町出身の恩地智里さん(43)は、客室乗務員(CA)としてエア・ドゥ(本社札幌市)で2002年から勤務を続け、現在は客室部羽田客室乗員グループリーダーとして160人の部下を支えている。「CAは小さな頃からの夢だった。今はグループの母親的な役割だが、共に働く仲間や家族にはいつも助けられている。いつか自分が乗務する飛行機に息子を乗せたい」と話す。(ライター・高山かおり)

小学生から憧れ
 1979年生まれ。浦幌小、浦幌中を卒業後、函館白百合学園高へ進学し、寮生活を送った。小学生の頃、テレビで知ったCAという職業に憧れを抱き、小学校の卒業文集にもCAが夢だと記した。かなえるためには大学へ行く必要があると考え、勉学に励んだ。寮では、同じく十勝から来ている生徒とも親交を深めた。今でも連絡を取り合う仲だという。

 卒業後、白百合女子大文学部へ進学。浦幌町在住時に習っていたバレエの経験を生かし、チアリーディング部に所属し活動した。一方でアルバイトにも力を注いだ。在学中の4年間、都内の飲食店に勤務し、サービス業務に従事。

 テーブルごとに担当者が付き、お出迎えからお見送りまでフルサービスする店だったといい、「お客さまと会話する機会が多く、メッセージカードをいただくこともあった。笑顔と明るいあいさつの第一印象とコミュニケーションを大切にしていた。それは今も変わらない」と振り返る。

 「ふるさととつながって働きたい」との思いから新卒でエア・ドゥに入社した。「就職氷河期と重なり、新卒の募集を数年停止していた時代。航空業界以外に就職をすでに決めていたが、卒業年の1月ごろにエア・ドゥで募集が始まり、これでだめだったらCAは諦めようと覚悟して臨んだ」

 入社後、3カ月間の訓練を受け、初めてのフライトに乗務。「『やっと夢がかなった』というあの時の感動は今でも忘れられない」と話す。

 入社3年目で客室乗務員の責任者であるパーサーを務めるようになると、その後はキャビンマネジャー、グループリーダーとキャリアを重ねた。11年3月就航の帯広-東京線にも、初便のパーサーとして乗務した。

 16年、出産と育児のため休暇を取得し、翌年復帰。現在はオフィス勤務がメインで、後進の育成に尽力する。乗務もするが月に2回ほどで、日帰り可能な往復便のみに限定している。帯広-東京線の乗務も続ける。

母の死に落ち込み
 19年、最愛の母を突然亡くした。「人生の中で一番耐え難い経験をした。勤務中に鳴った電話で知りひどく落ち込んだが、仲間に助けられ、慰められた。自身の今後を考えるきっかけにもなった」とし、「落ち込む時間ももちろん必要だが、どのように前に進むべきかを仕事だけでなく人生の中でも問われていると感じた」とする。

 母と一緒に学んでいた北海道フードマイスターの資格取得を諦めそうになったときも、「今やらないと後悔する」と助言してくれた仲間に救われ、前を向けた。

 自身の半生を振り返り、「継続することに意識を向けてきた。大学時代に熱中したチアでは、笑顔で人を応援することで自分も元気になるし、周りにもパワーを与えられた。さまざまな局面で、気持ちの持ち方で道が変わることを実感している」と話す。

 子育てと仕事を両立させる中で、地上勤務のみに切り替えようか悩んだ時期もあった。「信頼する家族や仲間に相談し、最後に子どもに投げ掛けると、フライトをするママが好きだと言われ決意を改めた。いつか息子に自分の乗務している姿を見せるのが夢」と語った。

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