晩成社の土地取得状況明らかに 郷土史研究家酒井孝幸さん
帯広市の郷土史研究家で元帯広市文化課長の酒井孝幸さん(65)が、依田勉三らが設立した「晩成社」の土地の取得状況や変遷を明らかにした。これまでの研究では、断片的にしか解明されていなかったという。併せて当時の所有地を現在の地図に重ねるなど興味深い内容に仕上げ、3月末発行の「帯広百年記念館紀要第33号」で発表した。
昨年7月から調査を開始。酒井さんは「晩成社や依田勉三について優れた研究はあったが、期間やテーマが限られていて全体像が把握できていなかった」と指摘する。4カ月にわたり、帯広百年記念館に収蔵されている「北海道晩成合資会社営業報告」と静岡県松崎町にある依田家が所有する文書「依田家調査報告書」を基に調べ上げた。
晩成社は帯広農場、下売買農場、上売買農場(以上帯広)、途別農場(幕別)の4農場と当縁牧場(大樹)の1牧場を開いた。最大面積は帯広の3農場を合わせただけでも約250ヘクタール(1902=明治35=年ごろまで)、当縁牧場は約1614ヘクタール(1926=大正15=年)もの広大な土地を所有していた。
酒井さんは、晩成社が負債を抱えて所有地をすべて売却した過程を記し、売買などによる土地の増減を詳細な表も掲載している。
各農場を現在の地図に当てはめる作業では、複数の史料を照らし合わせながら面積を計算する地道な作業で完成させた。酒井さんは「途別農場と当縁牧場の地積が分かったのは恐らく初めてだろう」とした上で、「現在の地図に当てはめると、晩成社の土地は十勝分監用地を除く当時の帯広(町)の中で広い面積を占めていたことが改めて分かった」と振り返る。
酒井さんは「所有地作付けの品目や小作状況などの事業展開や経営状況を調べていきたい」と今後の研究テーマに挙げる。
紀要はA4判1冊800円。同館で販売している(郵送の場合は別途送料が必要)。(塩原真)
◆依田勉三について
・依田勉三-ウィキペディア