北海道の名付け親と呼ばれる松浦武四郎(1818~1888)。伊勢国(三重県松阪市)で生まれ、幕末期にロシアとの国境問題で揺れた蝦夷地(北海道)を6回踏査し、アイヌ民族の生活、文化などを克明に記録し、十勝日誌などの書籍や地図、すごろくとして発行しました。また、幕末の志士や政治家、学者、文人との幅広い交流の中で情報通や蒐集家としても有名でした。強い好奇心と情熱のもと、旅に生き、幕末維新という激動の時代の諸相を集めて、伝えようとしたその生涯をたどります。
2018.12.15(土)〜2019.2.11(月・祝)
〈前期展示〉12/15~1/14、〈後期展示〉1/16~2/11 ※一部の作品を展示替え
会期終了いたしました。ご来場ありがとうございました。
- 開館時間 / 9:30~17:00(入場は16:30まで)
- 休館日 / 月曜日(2/11をのぞく)
- 観覧料 / 一般800(600)円、高大生500(390)円、中学生以下無料
- 会場 / 北海道立帯広美術館 〒080-0846 帯広市緑ヶ丘2番地 緑ヶ丘公園 GoogleMap
- ※()内は10名以上の団体、リピーター割引料金。
- ※リピーター割引は、当館または他の道立美術館で開催された特別展の半券のご提示により、特別展のチケット1枚が割引になります(1枚につき1名様1回限り有効。有効期限はチケット裏に記載)。
- ※相互割引として神田日勝記念美術館のチケットの半券のご提示により、団体割引の料金でご覧いただけます(1枚につき1名様1回限り有効)。
- ※高校の教育活動としての観覧、障害者手帳をお持ちの方などは無料。
- ※コレクション・ギャラリーとの共通料金:一般910(810)円、高大生560(500)円、中学生以下無料
ギャラリー
「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」は、武四郎が「見て、集め、伝えた」膨大な資料を通して71歳の生涯をたどる内容となっている。展示資料の総数は、国の指定重要文化財も含め399点にのぼるため、前期(12月15日~1月14日)、後期(1月16日~2月11日)に分けて展示するものもある。ギャラリーでは前後期、そして全期の展示から数点をピックアップし、紹介する。
後期展示(1月16日~2月14日)
自筆の巨大地図
「蝦夷新図(えぞしんず)」
松浦武四郎の6度の蝦夷地踏査のうち、前半3回は一介の志士として行った。その3回の成果をもとに、蝦夷地および北蝦夷地(サハリン、樺太)を描いたのがこの地図で、「三航蝦夷全図」と称される。その大きさから、踏査をまとめた武四郎の強い思いに圧倒される。
宇和島藩(現愛媛県宇和島市)に献上した自筆本で、緯度1度分を横継紙に描く、全部で14枚の分図である。現在、自筆本3件、写本4件の存在が知られるが、凡例を伴った自筆本として唯一のものである。
ロックな生きざま
「骸骨図縫付傘(がいこつずぬいつけがさ)」
晩年に調査に力を入れていた奈良と三重の県境に位置する大台ケ原への登山を含む、西日本への旅に出発するにあたって、友人・知人に揮毫してもらった蝙蝠傘。絵師・河鍋暁斎による骸骨図が印象的。
その他、漢詩人の小野湖山や岡本黄石、黄石の門人・丁野丹山、書家・日下部鳴鶴などが書を寄せている。御年69歳。幅広い交流関係を示す資料であるとともに、晩年においても精力的に旅に出ようとする、武四郎の生きざまを感じられる資料だ。
全期展示
貴重なアイヌの人名録
「東西蝦夷山川(さんせん)地理取調図 首巻」
全26枚の地図「東西蝦夷山川地理取調図」の首巻。地図出版の目的や、図中で用いた「運上屋(家)」などの記号を説明した「凡例」のほか、「案内人土人併(ならびに)地名取調土人名簿」として、道案内や地名の聞き取りで世話になったアイヌ281人の名前が書き上げられている(加えて、番人2人、出稼ぎ和人3人の名前もある)。
松浦武四郎は日誌などの紀行文も含め、多くのアイヌの名前を残しており、文字を持たないアイヌの人名や暮らしぶりを知る貴重な資料となっている。
蝦夷地伝えた多気志楼(たけしろう)物
「石狩日誌」「十勝日誌」
松浦武四郎は、その生涯にわたって80件の地図や紀行文などを出版したが、半数以上は蝦夷地に関係する内容である。特に、6回目の踏査を終えて江戸へ戻り、安政6年(1859)12月に幕府の「御雇」を辞す前後から、精力的な出版活動を行った。
これらは自身が見聞した蝦夷地の様子やアイヌの文化や生活を社会に伝えようとしたもので、出版物は「多気志楼物」と呼ばれ、江戸だけでなく大坂や京都でもベストセラーになった。
「石狩日誌」の挿絵はアイヌに石狩川を舟で案内される武四郎、「十勝日誌」の挿絵は武四郎が目にした土器や石器を描いたもの。
前期展示(12月15日~1月14日)
今へと至る北海道の姿
「北海道国郡検討図」
安政6年(1859)出版の「東西蝦夷山川地理取調図」全26枚に海の部分を補い、1枚に貼り合わせた地図。現在の振興局区分へとつながる「十勝」や「石狩」といった国名、「河西郡」や「足寄郡」などの郡名の付箋や、国郡境界や道路開削予定線を示す色線、明治2年(1869)7月に始まった新政府の(旧藩などに開拓を割り当てる)分割分領政策を示す付箋がある。
少なくとも一部の付箋は武四郎の自筆で、東京で明治政府の開拓使に奉職中、作業用の地図として用いたものと考えられる。
※東西蝦夷山川地理取調図については国立国会図書館デジタルコレクションなどでデジタルデータの閲覧が可能
収集癖の極致
「武四郎涅槃図(たけしろうねはんず)」
「蒐集家」(コレクター)としても知られ、欲しいと思えば何が何でも手に入れることから、「乞食松浦」とも呼ばれた松浦武四郎。自他ともに認める収集家としての姿を表したのが、当代一流の絵師で「画鬼」とも称された河鍋暁斎に描かせた「武四郎涅槃図」だ。
一般的に涅槃図といえば釈迦が沙羅双樹の下で弟子らに囲まれ入滅(死する)姿を描くが、武四郎涅槃図では釈迦の代わりに昼寝をする武四郎、その周囲には自身が蒐集した古物や書画の登場人物、郷土玩具などが描かれている。
※武四郎涅槃図に描かれた古物や書画も展示されます。