JR富良野―新得あす廃線 元機関士の大崎さん、忘れじの狩勝トンネル
JR根室線富良野-新得間(81・7キロ)は、31日で廃線となり、開通から117年の歴史の幕を閉じる。「旧狩勝トンネルを抜けると差し込む朝日が素晴らしかった。あの光景は今でも忘れられない」。新得町の元国鉄機関士、大崎和男さん(85)は、懐かしそうに鉄路の思い出を振り返った。(小野寺俊之介)
長さ954メートル急勾配の難所
日本三大車窓にも数えられた根室線・狩勝旧線の「狩勝峠」。蒸気機関車の時代、“機関士泣かせ”とも呼ばれたこの峠を越えることは、まさに命懸けの仕事だった。
長さ954メートルの旧狩勝トンネル内は熱と煙で呼吸もままならない。急勾配で列車が減速する中、投炭の手をほとんど休めず、湿らせたガーゼを鼻や口に当てて過酷な環境に耐えた。激闘の末、夜明けと共に列車がトンネルを抜けると、澄んだ空気がほほをなでた。雲を割って昇る太陽の美しさを独り占めできるのは、乗務員の特権だった。
清水町生まれ。旧国鉄に1957年に入社以来、退職までの36年間を運転畑一筋で勤め上げた。在職中からのライフワークとして、鉄道関連の写真や絵、詩を数多く手掛け、94年には自宅を増築し、長年収集した鉄道グッズを展示する私設博物館「大崎ミュージアム」を開設した。
機関士、運転士として87年の広尾線や士幌線などこれまで多くの廃線を経験した。鉄道が主役の時代、「道東の玄関口」と呼ばれた新得駅が栄え、徐々に衰退していく様子も見守ってきた。「どうしようもないことだけどね、やっぱり寂しさは大きい」
多くの作品、コレクションの中でも特に思い入れがあるのは、機関助士時代からの「乗務手帳」。各駅の到着時間や投炭記録などが書き込まれ、今では当時の様子が詳細に分かる貴重な資料となっている。
惜しまれつつも廃線を迎える根室線富良野-新得間。「たくさんの思い出が詰まっているから…。ただ、写真や絵、文章にして残せている私は幸せかもしれない」。一時代の終わりを惜しむように、思い出の手帳を静かにめくっていた。