五輪でアイヌ舞踊披露 深めた絆、思い新たに
東京五輪のマラソン・競歩会場となった札幌市の大通公園で、大会公認プログラムとして全5回にわたり披露されたアイヌ舞踊パフォーマンス。十勝からも約30人が大舞台に立ち、充実感をにじませた。長期間の練習を通して全道をつなぐ絆も生まれ、若い世代もアイヌ文化継承への思いを新たにした。(松田亜弓)
同パフォーマンスは全道から約200人が参加。5~8日の各競技開始前、チームに分かれてアイヌ民族の歌や舞踊を披露した。帯広カムイトウウポポ保存会の創設者の1人・加藤ナミエさんの孫の秋辺デボさん(釧路市阿寒町)が総監督を務め、各地域に伝わる15の演目でテーマの「多様性と調和」を発信した。
五輪に向けた取り組みは2018年に始まった。各地域からの約30人が「サブリーダー」として月に1度、各地域を巡って踊りを指導。十勝からは初めの頃から酒井学さん・真理さん夫妻(帯広)が務めた。
帯広の同保存会のように、各地域ではそれぞれに伝承活動が行われている。それぞれに伝わる踊りや歌があり、リズムの取り方のほか、手や足の一つ一つの動きにも特徴がある。
他地域の踊りに触れる機会はなかなかなく、今年に入り、サブリーダーに加わった吉根加奈さん(帯広)は「違う地域の人たちと一緒の方向を向いてやっていくのは初めて。本当に楽しく、知ることも多かった。みんな一生懸命だった」と振り返る。
迎えた本番。新型コロナウイルスの影響で無観客開催となったが、国内外のメディアのカメラによって練習の成果は世界に発信された。
吉根さんと共にサブリーダーになった竹山順一さん(帯広)は「最初は緊張したが、本当にいい経験をさせてもらった」と話す。
竹山さんの緊張の原因の一つは、一緒に参加した2人の子どものこと。そんな父の心配もよそに、長男の陽さん(17)=白樺学園高3年=は「しっかりうまくできたと思う。エムシリムセ(剣の舞)が一番良くできた」と頼もしく、十勝最年少で参加した長女の杏さん(15)=同1年=も「緊張したが、やりきった。(父が)中心となって頑張っている姿は格好良いと思ったし、アイヌ文化をこれからも引き継いでいきたい」と話す。
プロジェクトを通じ、新たな絆もできた。サブリーダーたちは時間を重ねて悩みも共有できるような関係になり、協力してアイヌ文化を発信していこうとの機運が生まれた。酒井さん夫妻は「アイヌはまだここにいることを知ってほしい」(真理さん)、「アイヌであることを隠して生きている人に、一歩でも前に進む後押しを」(学さん)と力を込める。
メンバーは、舞踊について「楽しいから続けている」と声をそろえる。酒井さん夫妻は「舞踊を格好良いと思ってほしいし、自分たちが楽しんでいる気持ちが伝われば」と、五輪がつないだ全道の絆を今後につなげたいと考えている。
チームを引っ張った他のメンバーの声は次の通り。
竹山陽さん
エムシリムセが一番よくできた。手の動きやタイミングがいつもと違い最初は大変だったが、うまくできて良かった。札幌の大学へ進学を考えているので保存会の練習は一旦離れると思うが、小さい頃からやってきたのでこれからも続けたい。踊りはやっぱりうまくできたらうれしい。
竹山杏さん
こうした大きな舞台は初めて。曲数も多くて時間も長いので、最初は練習で筋肉痛になった。本番は無観客ではあったがカメラがいっぱいで逆に緊張した。父(順一さん)が中心となっているのを見て格好良いなと思ったし、将来、家族ができたときにも一緒にやっていきたい。アイヌ文化を引き継いでいきたいと思っている。
酒井心さん(17)=白樺学園高2年
緊張したがよくできた。幼い頃から小学6年まで踊っていたが、中学は部活が忙しくできなかったので久しぶりの活動。踊って楽しかったし、他の地域の人たちからも声を掛けられたりしてうれしかった。
竹山明美さん
1歳から続けている。いろんな地域の人と話し、交流したことは貴重な経験。やめたいと思ったこともあったが、踊りが好きだし、他地域の同年代の友人が胸を張ってやっているのを見て続けようと決意した。小さいときから見てくれた祖母も喜んでくれたと思う。アイヌを知らない人たちも結構いるので、もっと理解が広まってほしい。
竹山真紀さん
小学5、6年から続けており、その理由はやっぱり踊りが好きだから。緊張したけど感動や達成感を味わえ、知らなかった他地域の踊りもできて楽しかった。これからも続けていきたいし、また他地域のものもやってみたい。
太田百美子さん
10代のころ、カムイトウウポポ保存会で会長を務めていた加藤ナミエさんに踊りを教わった。上士幌アイヌ協会の初代会長が父(故人)で、父もアイヌ文化を家族から教えてもらう環境になかったので、連れて行かれたのが保存会だった。参加したいと手を挙げたのは父に喜んでもらいたいという思いもある。踊りの癖が抜けずに苦労はしたが、すごく感動した。
竹山翔太さん
人生で一度立てるか立てないかの舞台。できるようになるまでは大変だったが、基礎から学さん、順一さんが教えてくれた。自分でも自信になるくらい上達でき、母にも褒められたことが一番うれしかった。父が6月に亡くなり、やめようかと思うこともあった。そんな時、妻が「落ち込んでても(お父さんは)喜ばないと思うよ」と背中を押してくれた。父が亡くなり、オリンピックでも仕事を休んでしまったが、会社の人をはじめさまざまな人に助けてもらい、支えてもらった。特別な大舞台になったし、父も喜んでくれたと思う。