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満州事変に従軍 故森下さんの日記発見

日記の数々に驚きを隠せない悦子さんと5女の池田依子さん(左から)

専門家「貴重な資料」
 満州事変に従軍した幕別町出身の森下明有さん(1910~2001年)が現地での戦闘や住民の様子などを克明に記した日記が、町札内の自宅で見つかった。遺品を整理した四女の長谷部悦子さん(70)=帯広=が読み込んで分かった。戦史を研究する関係者は「表記内容は戦時記録と照らし合わせても合致しており、極めて貴重な資料」と注目している。

 森下さんは幕別・稲士別の農家の11人きょうだいの6番目として生まれ、31年に旭川の第七師団に入営。混成第14旅団歩兵第27連隊の第2小隊第4分隊長として、32年9月から33年4月まで、満州で抗日運動を行う地方軍閥などと闘った。

 戦闘中に銃弾を受けて重症を負い日本に戻った。その後は札内農協(幕別)勤務などを経て、町札内で妻キクエさん(故)らと商店を営み、91歳で死去した。

故・森下さん(1999年ごろ、悦子さん提供)

 森下さんが残した日記は30~34年のもので計5冊。細かな字でびっしりと書かれ、うちポケットサイズの一冊は従軍中に持ち歩いたと思われ、汗などでにじんでいた。撃たれた際に着ていた軍服、関連資料などをまとめた回顧録や、アルバムなども多数残っていた。

 長谷部さんは5年ほど前、札内の自宅で遺品の一部を段ボールごと受け取った。今年8月に整理し、日記の存在に気づいた。「詳細な内容に衝撃を受けたほか、自身の思いもつづられ夢中で読んだ」という。

 出征が決まる前日、旭川の入営先で「ああ期待は裏切られた。(中略)万事休す」と赤字で書き、翌日は「万歳、万歳、万々歳。出征決定す」と喜ぶ様子を明記。「初めて弾の下をくぐる。初めて戦死した賊を見た時は流石(さすが)にぞっとした」、撃たれた5日後には「ヤラレタッ感じは瞬間に於いて唯(ただ)それだけ。(中略)疾走しながらも左胸部、戦死と複雑な感情をその瞬間において整理した」とある。

 長谷部さんは帯広空襲を語る会世話人の青柳雅哉さんに相談し、同メンバーで戦史に詳しい高校教諭の蓑口一哲氏が資料を読んでいる。蓑口さんは「回顧録は数多くあるが、これだけ詳細に描写された日記はあまり表に出ていない。まだ戦況に余裕があり、こうしたものを持ち帰ることができた時期と考えても貴重。戦史と照らし合わせても移動した地名と時期の正確さに驚いた」と話す。

来月「語り継ぐ会」
 同会では12月4日午後1時半から帯広市図書館で「戦争を語り継ぐ会」と題し、森下さんの日記の記録を長谷部さんが講演し、蓑口さんが説明する。入場無料。問い合わせは青柳さん(夜間、090・5070・5728)、吉澤澄子さん(昼間、0155・24・2399)へ。(佐藤いづみ)

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