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かつてにぎやか「親不孝通り」 まちマイ本別

昨年までにあった自身の店「佐藤茂十郎商店」の前に立ち、「親不幸通り」について説明する佐藤さん

 道の駅ステラ★ほんべつの南側、両サイドに飲食店などが立ち並ぶ小路は地元で「親不孝通り」と呼ばれている。現在はやや閑散としたイメージだが、64年間この通りで営業し続けた「佐藤茂十郎商店」の元店主、佐藤喜久子さん(68)は「昔はとってもにぎやかな通りで、お祭りの時なんか人が多くて家からでるのも一苦労だった」と懐かしむ。 

 佐藤さんは1947年本別生まれ。両親が51年に興した同商店はこの通りの角にあった。この場所で育ち、後に同商店を継ぎ、閉店した昨年3月まで店主を務めた。地元で通りをよく知る一人だ。

 高度経済成長期後半の66~72年ごろ。この通りには大人の社交場となる「飲み屋」が多く立ち並び、夜には酔客らでにぎわった。ここに通う酔客らが周りから「親不幸者」と呼ばれ、通りの通称に名を残したというのが定説だ。

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 ただ、昭和20、30年代は「マーケット通り」とも呼ばれていた。佐藤さんは「当時、飲み屋も数件あったが、駄菓子屋やおやき屋、貸本屋などがあり、子どもが集う場所だった。幼少期だった自分もよく行った。町の発展に伴い、通りの雰囲気も変化し、69年ごろには飲み屋さんがびっしりと並んだ」と振り返る。

 佐藤さんによると、2006年のふるさと銀河線の廃止以降、旧国鉄官舎が取り壊され、本別駅周辺で再整備が進められた。これに合わせて、人も店も減っていったという。

 親不孝でにぎわったのは一昔前の記憶。だが、当時より飲み屋の数は減ったものの、通りには今も酔客の姿がある。親不孝通りの面影がそこにある。(林佑哉)


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  • 現在の親不幸通り。かつては飲み屋さんでびっしりだったという

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