十勝初の緑綬褒章(社会奉仕活動功績) 榎本一次さん=新得
政府が28日に発表した春の褒章で、十勝管内からは緑綬と黄綬各1人、藍綬4人の計6人が受章した。発令日は29日。うち緑綬(社会奉仕活動功績)は2003年の栄典制度改正以降、十勝からは初めての栄誉となった。道内の受章者は35人(緑綬1人、黄綬5人、藍綬29人)。管内の受章者に喜びの声を聞いた。
緑綬褒章(社会奉仕活動功績)
榎本一次(いちじ)さん(89)=新得
介助支援24年 利用者は年下
「頼りにされていると感じる」
「自分ができる範囲のことをやってきただけ。受章は大変名誉なこと」と柔和な笑顔を見せる。
1991年、社会福祉法人厚生協会(新得)が運営する通所介護事業所日帰りサービスセンター・やすらぎ荘のボランティアになって24年。週3回、午前9時半から午後4時半まで、利用者の入浴や衣服着脱の介助、配膳(はいぜん)の手伝いや、話し相手を続けている。
旧国鉄の機関士を定年退職後、84年に町陶芸センターの運営管理に携わり、高齢者と触れ合ったのが縁でボランティアを始めた。今では自身がデイサービスセンターの利用者となり得る年齢だが、「頼りにされていると感じるから」と、自分より年下の利用者への奉仕者としての立場を変えない。
高畑訓子施設長は「利用者への気配りがあって、見習うべきことが多い」と感謝する。
「健康でいてくれることが何よりありがたい」と妻の茂子さん(83)。仕事を終え、帰ってきた夫の疲れ具合を見ながら食事のメニューを工夫するなど、サポートしている。
入浴介助では職員と2人で1日7、8人を担当。大変な労力が必要で、「利用者を転ばせたりしたら大変」。自分の体の状態を見極めながら、「しっかりと動くうちは続けますよ」と意欲を見せる。(大野篤志)
黄綬褒章(業務精励)
作田和昌さん(72)=帯広
観光振興や泉源管理尽力
音更町十勝川温泉の観月苑会長。「真面目に仕事をしてきたことを評価いただき、大変うれしい」と喜びを話す。
1942年中札内村生まれ。帯広柏小、帯広第三中、帯広柏葉高校、日大卒。観月苑では67年に専務となり、83年からは2代目社長を2012年まで務めた。82年に5階建ての新本館を開館させ、その後も建物の整備を重ねるなど、サービス・接客の向上に努めた。
95年から05年まで、十勝観光連盟副会長、音更町十勝川温泉観光協会長。現在は同温泉旅館協同組合代表理事。要職を歴任し、旅館業や十勝の観光振興に貢献した。同温泉では泉源の集中管理にも長年関わり、「モール温泉普及のため、さらなる規制も必要」。
「十勝川温泉の宿泊施設の後継者は40代前半の若手が多い。若い力に期待し、温かく見守りたい」と語る。(山岡瑠美子)
藍綬褒章(消防功績)
遠藤利之さん(66)=本別
生命と財産守る仕事誇り
「身に余る光栄。素直にうれしい。これまで支えてくれた団の先輩や職場に感謝したい」と喜びを語る。
1948年本別町生まれ。本別高校卒。地元の建設会社に勤務して間もない69年、上司に勧められるままに本別消防団に入団した。99年に第1分団長となり、2002年から団長。46年間にわたり、地域の消防活動の第一線で活躍している。
「入団当初は(消防に)あまり興味がなかったが、数々の火災現場を経験し、今は地域の人たちの生命と財産を守る仕事に誇りを持っている」と話す。製材工場の大火や大規模な林野火災も経験。丸2日間、消火活動を続けたことも。「異業種の人たちと交流できたのも財産」という。
悩みは少子高齢化による団員不足。「活動を通じてイメージアップを図り、新たな団員確保に努めたい」と決意を語る。(鈴木裕之)
藍綬褒章(統計調査功績)
加藤 梓さん(79)=帯広
活動43年「協力のおかげ」
「こんなに長くやるとは思っていなかった。みんな真面目に調査に協力してくれ、助かった」。1970年から2013年まで43年間にわたり、国勢調査員を務めた。
1936年旧川西村(現帯広市川西)生まれ。川西村立富士小学校、同富士中学校、北海道川西農業高校を卒業し、55年から家業の農業に従事。富士地区麦生産組合長、川西麦生産組合長会会長などを歴任した。
5年に1度の国勢調査では、農作業を終えた後、かつてはバイクで、近年は車で、担当の中富士地区の約25世帯を1戸ずつ回った。「『この日に行きます』と伝えておくと、みんな必ず家にいてくれたので、2回行ったことはなかった」と地域の人々への感謝を口にする。
「5年に1度で大変とは思わなかったが、1人でよくやったなと思う」としみじみ話す。(澤村真理子)
藍綬褒章(調停委員功績)
久保寺實枝さん(64)=音更
「役に立てるなら」自然体
「本人たちが、それでいいと納得して終わることができれば。自分(調停委員)の意見を押しつけては駄目」。そんな思いで責務を担ってきた。
1951年、寺の六男として岐阜県に生まれた。名古屋商科大を卒業し、74年に岐阜県谷汲山華厳寺に奉職。84年に音更町の谷汲山観音寺住職となった。96年から現在まで、「お役に立つなら」と調停委員を続けている。
住職と調停委員の仕事は似ていると感じる。寺では住民に一番身近な立場として、普段から話に耳を傾けてきた。「寺は家の悩みなどを吐き出す場所。その延長上だから」と自然体だ。
離婚や親権、養育費、遺産分割。調停はさまざまだが、「よく話を聴き、少しでも良い関係に戻す」ことを心に留める。復縁した夫婦が寺を訪ねることも。定年となる70歳まで続けるつもりだ。(菊池宗矩)
藍綬褒章(更生保護功績)
野村仁朗さん(76)=帯広
陰の仕事、評価うれしく
「保護司の仕事は、ひっそりとやるもの。だからこそ、このように栄誉ある形で評価されたことは本当にうれしい」と喜びを口にする。
1939年帯広市生まれ。市内で不動産賃貸管理業を営む傍ら、86年、小学校時代の恩師に勧められて保護司となった。
対象者との面接では、世間話を通して相手との“距離”を縮めることを心掛ける。「誰かと話したかったり、話を聞いてほしいという人ばかり。相手の話に真摯(しんし)に耳を傾け、信頼関係を築くことが大事」と話す。
これまで50人近くの対象者と接してきたが、中でも結婚報告をしてくれた男性が印象深いという。
「『家内と頑張っていきます』との言葉がうれしかった」と振り返り、「保護司として残された時間はわずかだが、精いっぱい取り組んでいきたい」と意欲を見せる。(土屋航)