ゲートボール、町内で誕生し68年 まちマイ芽室
GBは町内でパン工場を営んでいた故鈴木栄治氏(後に和伸に改名)が1947年、戦後の混乱期で満足な遊び道具もない子供たちのために、手軽に楽しめる健全なスポーツとして考案した。ただ、子供たちの有り余るエネルギーを受け止めるには少々スピード感に欠けたのか、当初はあまり普及は進まなかった。
本格的に普及するのは70年代以降のこと。手軽で体力的な負担も少ないGBは、趣味に時間を費やす余裕ができた高齢者を中心に全国でブームを巻き起こした。町GB協会事務局長の大野新さん(67)は「当時のお年寄りは戦前、戦後と遊ぶことも知らずに生きてきて、スポーツに対する憧れがあった」と話す。
当初の鈴木氏の狙いとは違う形になったが、高齢化に伴って競技人口は急増。アジアや南米などにもGBの輪が広がり、愛好者は世界で1000万人に上るとも言われる。同協会の会員数もピークの2001年には484人を数えた。
ただ、競技人口は近年、全国的に減少傾向にあり、同協会の会員も現在は19クラブ、238人となっている。また、会員の半数以上が80代以上と高齢化が進む。大野さんは「GBは年齢も性別も関係なくノーハンデでできる。技術と作戦がマッチしたときの達成感を多くの子供たちにも知ってもらいたい」とし、若年層への普及にも力を入れている。
同協会の横地璋典会長(79)は「GBはチームスポーツなので必ず仲間ができる。多くの人にGBを通じて仲間を増やしてもらいたい」と話している。(丹羽恭太)
◆特集
・まちマイ芽室編-十勝毎日新聞電子版