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つながる絆未来へ、宮城の須田さん 今春帯畜大入学

「接しているうちに甘えてきたり、信頼を肌で感じる」と牛の飼育の魅力を話す須田さん(手前)とサニー。後ろは渥美さんと後輩の橋本千空さん(左から)

 東日本大震災で津波被害を受けた宮城県農業高校(同県名取市、白石喜久夫校長)に震災直後に入学し、津波から生還した「奇跡の牛」と共に酪農を学んだ須田空流(くうる)さん(18)が今春、帯広畜産大学に入学する。仮設校舎で勉学に励んだ3年間。生き延びた母牛から生まれた子牛を育て、全国の共進会にも出場した須田さんは「命の大切さ、人のつながりの大事さを学んだ。酪農の盛んな十勝でもっと勉強したい」と、未来への新たな一歩を楽しみにしている。
(小林祐己)

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 2011年3月11日、名取市の海岸から約1キロの平野部にあった県農業高校は、高さ10メートルの津波に襲われた。学校にいた生徒や教員は屋上に逃れたが、牛舎と牛34頭は濁流に押し流された。教員が命懸けで首輪をほどいて自由にした牛は、水が引いた後に14頭が生還し、「奇跡の牛」と呼ばれた。

 須田さんは、その日が中学の卒業式だった。進学先の同校は壊滅的に被災したが、「好きな動物関係の仕事に就くために専門的に学びたい」と強い気持ちで入学。生き残った牛と心を通わせて世話する先輩たちの姿に憧れ、酪農を学ぼうと決めた。

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 「奇跡の牛」からは、11年8月に希望の命が生まれた。震災後初の子牛「サニー」だ。12年春、サニーは県の共進会で酪農家の出品牛を抑えてグランドチャンピオンに。須田さんがリードした東日本大会でもクラストップに輝き、同県の高校では初の全国出場を獲得した。仮設牛舎に喜びが広がった。

 「絶対に勝たなきゃ」と臨んだ全国大会では、サニーが暴れて最下位に。「私が勝つことしか考えず、環境が変わったことへの思いやりが足りなかった」と振り返る。結果は悔やんだが、共進会の経験から、ますます牛の飼育管理に興味が湧いた。「命を扱う仕事。苦労もあるけど魅力的」と笑顔で話す。

 酪農家ら周囲の支えも常にあった。多くの牛を失った同校には、道内の農家が受精卵を無償提供し、13年7月には、幕別町の山田敏明さんの卵から第1号の子牛「ミルキー」が誕生した。支援の絆から生まれた子牛も世話し、「先生や仲間、酪農家の人たちとのつながりの大切さを感じた」という。

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 「毎日、誰よりも早く牛舎に来る。努力家で、心の底から乳牛が好き」。須田さんを指導した同校実習助手の渥美勇人さん(39)は語る。渥美さんはあの日、津波が迫る中、牛舎に走って牛を放った。救った命から教え子が学ぶ姿に、「酪農を面白いと感じてくれることが、自分の最高の励みになる」と喜ぶ。

 農業大学校のグラウンドに建つ、プレハブの仮設校舎で学んだ3年間。「施設的には他の学校より落ちるかも。でも、不自由に思ったことはないし、充実していた」と須田さん。帯畜大では牛群管理の研究に加え、馬が流された同校ではできなかった馬術部への入部など夢を広げている。

 昨年8月、サニーから新たな命が誕生。「クウル」と名付けた。「牛と関わることで、実感として命の大切さに改めて気付いた。先輩たちは、津波があったからこそ頑張ってきた。その意志を継ぎ、自分も十勝で頑張りたい」。子牛をなでながら、目を輝かせた。

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