70年以上の歴史誇る神社みこし まちマイ池田編
池田は十勝開拓の玄関口だった大津(豊頃町)と近く、利別太(町利別)は十勝川の水運を利用して早くから開けた。福井県から利別太に移住し、事業に成功した北与五郎氏(故人)は戦前、池田神社(岩崎寿澄宮司)へ大金をはたいて購入した豪華なみこしを寄贈した。みこしは70年以上たった今も担がれ、地域には欠かせないものになっている。
みこしは1937年に寄贈された。与五郎氏は当時、池田神社の総代を務めており、同年、小樽で開かれた北海道大博覧会で購入した。
重さは約380キロあり、金箔(きんぱく)を張った京みこし。モデルみこしとして同博覧会に展示され、函館にも購入希望者がいたが、与五郎氏が買い取った。代金は当時の値段で1200円。同じタイプのみこしを今、購入すれば1000万円以上といわれ、思い切った決断に驚かされる。x
与五郎氏は、1898(明治31)年に利別太に入り、川舟の運送業をしていた。1909年に現在の北金物店を開業。現社長で与五郎氏の孫に当たる敏勝氏(79)によると、与五郎氏は豪商で大地主だった本間家(山形県酒田市)の経営を自身のモデルとし、小売業の他、土地を購入し、住宅賃貸業や貸金業などを営んだ。敏勝氏は「みこし寄贈にも本間家から影響を受けたかもしれない」とみる。
また、与五郎氏は世話好きで公職や仲人を引き受け、祭りも好んだ。敏勝氏は、こうした与五郎氏の性格も大盤振る舞いの寄贈につながったとみる。
みこしは、秋の例大祭に池田御輿会(小川仁会長)が担ぎ、秋の風物詩として定着。ただ、老朽化で修繕が必要だが、費用は600万円ほどを要するとあって関係者は頭を痛めている。
岩崎宮司(52)は「当時の社会情勢からこれだけの寄贈は容易でなかったはず。神仏への与五郎氏の心根の深さ、生きざまを感じる」と感謝の思いは尽きない。(平野明)