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鹿追百年新聞「進取の精神 挑んだ100年」

町の未来を担う人づくりの拠点として、2019年11月に完成した「認定こども園しかおい」の新園舎と園児ら

感謝の大地 次世代に
 鹿追町が母村・音更村から分村して100年の節目を迎えた。先人が幾多の苦労を乗り越えて切り開いた豊かな大地を次の世代に受け継ぐべく、常に新しいチャレンジを続けている。

 東大雪の山々を望むクテクウシ原野(現在の下鹿追)に、東京出身の山田松次郎が開拓のくわを下ろしたのは1902(明治35)年。厳しくも可能性に満ちた未開墾地に引きつけられた多くの開拓者が、艱難(かんなん)辛苦に耐え、今日に続く農業の基盤を築いていった。

駅逓中心に発展 音更村から分村
 開拓が進むにつれて各地に駅逓が設置され、駅逓を中心に人々の暮らしを支える商店や医院、学校などが整えられていった。人口増加に伴い、音更村役場から離れていることの不便を訴える声が高まり、大正初期から分村の機運が盛り上がることになる。21(大正10)年、分村した当時の村民は852戸、4448人を数えた。

町名の由来となった「クテクウシ」の駅逓跡に建立された「鹿追町発祥の地」碑

 開村と同じ年にはビート運搬用に上幌内-清水間で鉄道(後の河西鉄道)が運行を開始し、28(昭和3)年には鹿追-新得間で拓殖鉄道が開通。農作物や旅客輸送に加え、広大な森林から切り出された原木を運ぶ重要なインフラとして、林業の発展を支えた。

 基幹の農業と林業に加え、秘境然別湖を中心とした観光もまた、町の発展の一翼を担う。32(昭和7)年には然別湖畔までの道路が開通、2年後には同湖周辺を含む大雪山一帯が国立公園に指定された。

然別観光も一翼 ピーク1万448人
 終戦後は集団疎開者らの入植を受け入れ、57(昭和32)年には陸上自衛隊鹿追駐屯地が開庁。60年の国勢調査では人口がピークの1万448人に達した。

 その後、農業の機械化・大規模化や少子高齢化が進み、人口は5270人(2020年国勢調査)まで減少。一方で酪農を中心に農業は発展を続け、農業産出額は十勝管内市町村で8位、全国で80位と確固たる地位を築いている。

 農業や観光など各産業の基盤となる大地と豊かな自然を後世に残し、何よりもそれを生かす人をつくることが、節目を迎えた町に与えられた命題。町と町民は一体となり、先人から受け継いだフロンティアスピリットで、特徴的な教育や再生エネルギー活用、ジオパークの取り組みなどさまざまな挑戦を続けている。

<メモ>
 「鹿追」はアイヌ語の「クテクウシ」に由来する。「ク」は弓矢、「クテク」は弓矢を仕掛けた「鹿捕りの柵」、「クテク・ウシ」は「鹿捕り柵・あるところ」を意味するとされ、これを和訳して鹿追となった。

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