陸別百年新聞「陸別発展つむぎ1世紀 編田牧場」
明治期の入植以降、畑作も盛んに行われてきたが、冷害などで次第に酪農への比重が高まった。現JA陸別町の「淕別村農業協同組合」は1948(昭和23)年、正組合員248人で発足。52(昭和27)年に設立された斗満や小利別の酪農グループの酪農振興会と共に、人工授精の推進など各種振興策を進めた。
町も安定した寒地農業の確立に向けて、乳牛の飼育を奨励。乳牛の飼養頭数は55年には計657頭にまで増加、農家64戸中57戸が乳牛を飼育するなど十勝でも酪農先進地になった。現在は年間4万トンを超える生乳生産を誇る。関寛斎の夢は受け継がれた。
畑作からの転換 先見 入植から5代 編田牧場
町トマム幹線80の編田牧場。入植から5代、農業を始めてから4代目になる。「平たんな広い土地は良好な粗飼料の畑に。牛の改良にも努力したい」と先祖に感謝する。
1898(明治31)年、編田久八(きゅうはち)さんが一家6人で福井県から渡島管内知内町に移住。1901年には日高管内様似町、そして09年に陸別町へ。「なぜ冬に北海道に渡り、ここまで来たのだろう」。子孫たちの疑問は尽きない。
久八さんの三男で町議も務めた久助さんが、木工所経営を経て、昭和の初めごろに現在地で就農した。馬で耕し、豆類、ジャガイモ、ソバを栽培。度重なる冷害を受け、畑作に代えて酪農に重点を置くよう周囲に呼び掛けもしていたという。
35年に牛舎を新設。久助さんの長男幸作さんの時代には25頭にまで増やし、畑はビートを最後に72年でやめた。幸作さんの長女美津子さん(66)は「昔は子牛を返す貸し付けもあった。炭焼きなどで収入も得ていた」と記憶をたどる。
現在の編田牧場は、美津子さんと夫栄二さん(66)、三男尚弘さん(42)と妻あづささん(42)の4人による家族経営。180頭(うち経産100頭)を飼育し、飼料用トウモロコシと牧草90ヘクタール(借地含む)を手掛ける。
共進会の常連で、2015年には全国2位、昨年春には全道のリザーブチャンピオンに輝いた。栄二さん、尚弘さんは「久助の代からの血統も残っている。自家繁殖し、血を絶やさずに先代の苦労に報いたい」と口をそろえる。