南阿蘇村へ「負けるな」かつて交流、鹿追で寄せ書き 熊本地震
【鹿追】行方不明者の捜索が本格化する熊本県南阿蘇村とかつて交流事業を行った鹿追町で、現地の被害を心配し、支援を行う動きが始まっている。18日夜には、個人的に交友関係を続ける町内の若者らがピュアモルトクラブハウスに集まり、被災した友人たちを励まそうと応援の寄せ書きを完成させた。
相互派遣26年間
交流のきっかけは1975年に南阿蘇村(当時長陽村)の若者が清水町内に民泊したこと。地域間交流の話が盛り上がり、翌年から、南阿蘇村(長陽村・白水村・久木野村)と山都町(当時蘇陽町)、西原村、高森町の6カ町村勤労青年と、西部十勝4町(鹿追町、新得町、清水町、芽室町)の地元青年団の相互派遣交流が始まった。2002年までの26年間で約650人を派遣、南阿蘇からも約360人が西部十勝を訪れた。鹿追などは、小学5年生対象の少年少女国内研修事業(1990~2003年)も実施した。
こうした活動から住民同士のつながりが生まれ、事業終了後も自主的な交流が脈々と息づいている。08年まで毎年訪問し、新婚旅行の旅先にも選んだ町東瓜幕の酪農業高橋広輔さん(33)は「人の温かさを教えられた第二の故郷」と話す。それだけに、今回の震災に「変わり果てた景色をテレビで見たときは信じることができなかった」とショックを受けた。
FBで無事確認
地震発生直後に友人に安否確認のメールを送った高橋さんは、荒れ果てた家の写真を受け取った。避難所で生活していることも知った。「携帯電話の充電を節約しないといけない。ゆっくり話もできない」と歯がゆい思いを抱えている。
町上然別の農業勇慎一さん(35)にも、連絡が取れない友人がいたが、フェイスブック上で人から人へとつながりようやく生存を確認できた。数年前に南阿蘇村を1度訪れた保育士の村上絵梨さん(29)も「知らないだけで行方不明になっている人がいるかもしれない」と不安を打ち明ける。
寄せ書きは「被災地で心細い気持ちを抱えて過ごす人たちを元気づけたい」と思い立って企画。南阿蘇村と関わりのある仲間7人が集まり準備を進めた。
18日、夜の仕事が終わり、集まった顔触れはさまざま。「南阿蘇からの訪問団をコテージで受け入れた」という北海道グリーン・ツーリズムネットワーク会長で飲食店経営の山岸宏さんも、若者たちの強い思いに押されて駆け付けた。かつての交流場所にもなった同クラブハウスで色紙にメッセージを書き込んだ。「負けるな熊本」「一緒にがんばろうぜ」「絆」-。近く現地に送る予定だ。
町も南阿蘇村と連絡を取っており、支援物資の提供などの検討を進めている。交流事業が縁で、二十数年前に南阿蘇村から町へ嫁いで来た町笹川の酪農業佐藤照美さん(53)は「みんなの温かい気持ちが本当にありがたい」と話している。(小寺泰介)