元帯広市長、田本氏の告別式で功績偲ぶ 350人以上が参列
1日未明に死去した元帯広市長の田本憲吾さん(享年93)の告別式が4日午前10時から市内の公益社中央斎場で執り行われた。前日の通夜も含め、政治や経済、福祉関係など350人以上が訪れ、帯広の発展に尽くした田本さんのまちづくりへの功績などに思いを巡らせた。
田本さんは1929年、樺太(内幌町)生まれ。日大理工学部卒。74年市長選に出馬。中川一郎氏(元農水相、故人)の支援を受け初当選、連続4期務めた。帯広空港建設や鉄道高架事業誘致などを手掛け、市の発展に貢献した。中川直系として政治の世界でも活躍した。昨年3月まで帯広福祉協会理事長。葬儀委員長は真宗協会の樋渡喜久雄理事長が務めた。
米沢則寿市長、有城正憲市議会議長、帯広福祉協会の道見英徳理事長らが弔辞。米沢市長は、昨年の市制90周年式典時に会ったことに触れ、「早くからまちづくりに関心を持たれ、帯広の森の造成計画に共鳴し、議員に賛成を促したとも聞く。会うたびに頑張れよ、しっかりなと明るく優しい笑顔が心に残る。意思を受け継ぎ、帯広の飛躍に向け全力を尽くす」と話した。
田本氏長男で施主、公璽(こうじ)さん(69)=東京都=は「父は2月下旬から病院で緩和ケアを受けていたが、亡くなる直前まで帯広のまちづくりを語るほど帯広を愛していた。多くの人に見送っていただき、感謝しかない」と語った。(佐藤いづみ)