志賀姉妹息の合ったプレー 4年前の悔しさばねに主力に成長 北京五輪女子アイスホッケー
【中国・北京=北雅貴】姉妹そろっては初となる念願の五輪のリンクに立った。日本代表に欠かせない存在に成長した志賀葵と紅音。帯広でアイスホッケーの基礎を学び、4年前の平昌五輪で感じた悔しさをばねにした2人は、コロナ禍でも歩みを止めず、大舞台で輝きを放った。
葵が稲田小2年生、紅音が同1年生のときに、校庭のリンクでアイスホッケーを体験したのがきっかけで地元の少年団で競技を始めた。高学年に清水御影少年団へ。中学生から高校卒業までは帯広レディース(現帯広クレインズレディース)でずっと一緒にプレー。葵は高校1年、紅音は中学2年で日本代表合宿に呼ばれ、将来を嘱望されていた。
平昌で不完全燃焼
4年前に大きな転機を迎えた。平昌五輪の最終合宿まで残っていた紅音が最終的に落選。当時高校3年生だった葵はメンバー入りしたもののプレー時間はごく短く、それぞれが悔しい思いをした。目標にしていたのが床亜矢可(西武)、秦留可(同)姉妹。2人は2014年のソチ五輪で姉だけが選ばれ、平昌では姉妹で選出された。「北京では床姉妹のようになろうね」。2人で誓い合い、実現させた。初戦は床姉妹と同じセットを組んだ。
完全に代表に定着した志賀姉妹は、紅音が高校を卒業した3年前から苫小牧市内で2人暮らし。20年には新型コロナウイルスの感染拡大で苫小牧市内のジムや体育館、リンクが休館になった時は外で走り込んだ。長距離メニューでは1日に6~7キロ、短距離の場合は50メートルから200メートルまでを何本もダッシュした。
遠慮無く意見も
苦しい練習も互いの存在が励みになった。葵は「チーム練習もできない上、大会を含めた今後の日程が全く見通せなく、モチベーションを保つのが難しかった。妹がいてくれたのでトレーニングを継続できた。いてもらわなければならない存在」と振り返る。紅音も「1人ではできなかった。つらい時も、姉の取り組む姿を見て自分ももっと頑張らないといけないと思った」と話す。その後の代表合宿などでは、全体練習後に姉妹でシュート練習などに励み、遠慮なく意見を言い合った。
息抜きは2人でドライブ。車中で「ホッケーの話はあまりせず、普通の緩い会話」(葵)と、海沿いの景色を楽しむ。買い物では服が好きな紅音が熱心に品定めする後ろで、全く興味のない葵は付き添い役だ。私生活でも仲良し姉妹は、氷上でも息の合ったプレーを見せる。「本当にやりやすい。あうんの呼吸。セットを組んだからには2人で得点を取っていきたい」と話していた紅音。この日の試合でも決勝ゴールを演出するなど、息の合ったプレーを随所で見せた。「特別な舞台で一緒にプレーできるのはうれしい。もっともっと姉妹で活躍したい」と次戦以降に気合を込めた。