イチロー引退 ねぎらう声 十勝から 用具で縁、交流も
21日に現役引退を表明した米大リーグ・マリナーズのイチロー選手は、キャンプ地での交流やバット用の木材提供などを通じて十勝とも縁があった。数々の記録を打ち立てた偉大な選手の引退に、管内の関係者はねぎらいや感謝の言葉を送っている。(北雅貴、木村仁根、池谷智仁)
「名人」と同行
「イチロー選手と会えたのは一生の思い出」。帯広市内のミズノ野球用品専門店「マツギスポーツ」(柏林台南町1)を経営する真継秀明さん(62)は感慨深そうに振り返る。
真継さんは2005年3月、ミズノが契約する選手のグラブやミットを修理するスタッフとして米アリゾナ州でのメジャーリーグのキャンプに派遣された。当時、イチロー選手のグラブを専属で製造、修理していた名人の坪田信義さんらと同行した。
直接、メンテナンスをすることはなかったが、イチロー選手との交流も。練習前に駐車場からクラブハウスにさっそうと走って入る姿が「本当に爽やかでスマートだった」と話す。
今回のマリナーズの試合をテレビで見ながら、妻の敦子さん(53)に思い出を語ったという。引退には「50歳までプレーすると思っていた。残念な気持ちもあるが、日本人野手がここまで活躍できたのは素晴らしい。けががないのもプロとしてすごい」とたたえた。
バットは「本別発」
イチロー選手は3、4年前まで、本別ゆかりのアオダモのバットを使用していた。道内から集めた原木を角材に加工し、スポーツメーカーに出荷する山内バット製材工場(本別町美里別34)の山内淳一社長(64)は「日本時代からアオダモを使ってくれた名選手。引退には感無量と寂しい気持ちが交錯する」と話す。
同社は創業60年、十勝で生き残った唯一のバット工場。イチロー選手もメイプル材を取り入れる一方、アオダモにもこだわりを見せた選手の一人。「私たちは木に命を込める役目。作らせてもらっているというプライドと誇りを与えてくれた」と山内社長は感謝を惜しまない。
本別の「道の駅ステラ★ほんべつ」には、イチロー選手らが使った山内バット製材工場産の専用モデルバットが展示されている。
イチロー選手の存在は十勝の野球少年にとっても憧れだった。少年野球チーム「開西・つつじが丘マリナーズ」の顧問を務める帯広市の佐藤哲博さん(65)は「(01年に)イチロー選手が大リーグで活躍し始めて、少年団の入団希望者が2~3割増えた記憶がある」と懐かしむ。現チーム名になったのは04年。「マリナーズの名前となり、目の輝きが変わった」
意外なつながりも。木製品加工の中野製作所(帯広、中野正睦社長)は1996年から2年ほど、オリックスブルーウェーブ時代のイチロー選手のマスコットバットを製作していた。バットは長さ50センチほど。中野社長(60)は「バットは2万本製作し、イチロー人気を感じた。お疲れさまと声を掛けたい」と話す。