清水の避難所解消 思い出の家で再出発
【清水】町は21日、台風10号の大雨で開設した保健福祉センターの公設避難所を閉鎖した。ペケレベツ川沿いの住宅が被災し、最後まで避難所に残っていた鳥海利弘さん(74)、梅子さん(68)夫妻は今も生々しい傷跡が残る地域で再出発し、「思い出の詰まった家、生まれ育った清水で頑張りたい」と話した。今回の災害による十勝管内の避難所はすべて閉鎖された。
鳥海さん夫妻は午前9時に同センターを出発した。金田正樹副町長は「苦労があると思うが家で過ごすのが一番。気軽に相談に来て」とあいさつ。町職員27人が温かい拍手で見送った。
「ドーンと2度もすごい音がして地震かと思った」。8月30日午後5時半ごろ、外を見ると荒れ狂う川の中を大木が何本も流れていた。先祖代々の位牌や眼鏡、薬、下着をかばんに突っ込み、梅子さんは同センターへ。利弘さんも数時間遅れて避難。3週間にも及ぶ避難生活の始まりだった。
「まさかこんなにつらいことが待っているとは思ってもいなかった」と梅子さん。数日後、心労から持病が悪化し、町内の病院へ担ぎ込まれた。回復後、初めて家を見に行ったが、長年親しんだ景色は無残に変わり果てていた。川沿いの道がなくなり、家の土台はえぐられ、倒れた電柱も横付けして止まっていた。
近所では家が流され、「自分の所だけ残って悪い。一緒に流れれば良かったな」と思ったことも。ショックで再び体調を悪くして避難所に帰って来た。
利弘さんは町人舞、梅子さんは釧路市出身。49年前に結婚し、人舞の水田で米作りをしてきた。父が他界した後、2人になった28年前に建てた家。「清水公園が近く、日高の山がとてもきれい」と梅子さん。ささやかだが憧れの生活を実現させた場所だった。
被災した地域の人を思うと、元の場所に戻ることはちゅうちょした。それでも「鳥海さん、早く帰ってこいな」。毎日避難所に見舞いに来た西清水町内会の大野春雄会長らの声が後押しした。「この場所で生活を立て直そう」と2人で励まし合い、ボランティアらの力を借り、床をはがして流れ込んだ泥をかきだした。
災害の傷あとが残る地域には、つらさも感じる。それでも「あしたから後ろは振り向かない。この年齢になって苦労するとは思わなかったが、支えてくれる人への感謝を忘れず、ふだんの生活を一日一日大切にしていこうと思う」と前を向いた。(小寺泰介)