鹿追町民が演じて支えて、込めた思いは 映画「おしゃべりな写真館」
鹿追を中心とする十勝管内で撮影が行われ、シネマ太陽帯広で23日に封切りされた映画「おしゃべりな写真館」(藤嘉行監督)では、十勝の住民がさまざまな形で作品に関わり、制作に力添えした。撮影や出演者らスタッフをサポートした「ささえ隊」、エキストラ出演した瓜幕中学校の生徒、鹿追での撮影を実現させた関係者らに、映画に懸ける思いを聞いた。(小野寺俊之介、杉原尚勝)
中学生らエキストラ出演
◆百合役・所暖乃香さん(瓜幕中3年)
初心者なりに良いものに
鹿追で映画を撮ったのはすごい。オーディションを受けて出演が決まった時はうれしかった。周りの役者さんは演技も上手。初心者なりに良いものにできるよう頑張った。
主演の中原丈雄さんはオーラがあって優しかった。待ち時間に優しく話しかけてくれた。ヒロインの山木雪羽那さんや地元の子役たちとも仲良くなれた。試写会で自分が映った時には「あ、映画に出てる」って感動した。
名古屋市からの山村留学生なので、向こうでは見ることのできない景色が映画に映っていて、それだけでも見る価値がある。良い具合に山村留学について描かれているので、今後もっと留学生が増えてほしい。
◆武役・立石椿さん(瓜幕中2年)
重み伝わったプロの演技
映画に出られたこと、鹿追が舞台になったことがうれしかった。わくわくして撮影に行ったが、最初は緊張で硬くなった。最後の方のスケートの場面では、最初のころと比べてしっかりと演技ができて安心した。
印象に残っているのはロケ弁。普通のお弁当だけど、それでも特別感があった。実際に撮影現場に立ち会い、プロの演技は重みや優しさがじかに伝わる感じがしてすごいと思った。
東京から山村留学できて5年目。自分が生活している鹿追がこんなにきれいだったことを再認識した。東京の人が見ても、北海道の人が見ても魅力が伝わる。和やかで落ち着く、すごくきれいな場所なんだとみんなに知ってほしい。
中学生エキストラの所さん、立石さん おしゃべりな写真館
美術制作、炊き出し…「ささえ隊」団結
◆隊長 相澤政則さん(59)=健勝重建代表
セット 出来映えに感動
映画のセット制作は初めての経験。手探り進める中で苦労もあったが、美術監督と打ち合わせを重ねてイメージをつかんだ。職人さんたちも頑張ってくれて納得できるセットを作れたと思っている。試写会で映像を見た時は感動した。
ささえ隊としての活動は、年齢問わず一致団結し、逆に僕の方が支えられた。特に炊き出しは女性陣が引っ張ってくれた。何かあれば「すぐ協力するよ」「大丈夫だよ」と力強かった。
出演者、スタッフもいい人たちばかりだった。気さくに話しかけてくれたり、一緒にお酒を飲んだり、良い思い出ばかり。町の人も同じ気持ちじゃないかな。去年はすごく濃い1年になった。
町の人たち、ささえ隊の人たち、みんなの思いも詰まった映画。感動して、幸せな気持ちになれるよう作っていただいた。家族、友達と一緒に2回、3回と楽しんでほしい。
ささえ隊隊長 相澤政則さん おしゃべりな写真館
◆副隊長 鈴木朝子さん(73)=鳥せい鹿追店女将
二つの市街 生まれた交流
出演者、スタッフのみなさんがなるべく居心地よく生活できるようにしたかった。撮影の間の炊き出しは、ささえ隊、JA女性部、瓜幕婦人会、自衛隊協力会女性部などのメンバーでローテーションを組んだ。冷たいロケ弁だとかわいそうなので、それぞれでメニューを考え、愛情のこもった温かいものが食べられるように活動をした。
鹿追は人口5000人くらいの町。鹿追市街と瓜幕市街に分かれて、あまり交流はなかったが、この映画を機に町、特に女性陣が一つになった。食事の支度でもめることもなく、「何か足りない」となったらすぐ家に取りに行ってくれて。映画の成功に向けてみんなに頑張っていただいた。
映画は山村留学の話。この映画を見て、親御さんが安心してこの町に子どもを送り出せるきっかけになればうれしい。大勢の方が映画館に足を運んでくれればいいなと思っている。
ささえ隊副隊長 鈴木朝子さん おしゃべりな写真館
◆藤嘉行監督(65)
この地を知ってもらいたい
澄んだ空気、広大な大地、雪景色の中の防風林。どれも感動した。東京の人に知られていないこの地をもっと知ってもらいたい、知らせてあげたいとの思いが高まり、四季の中で人間ドラマを描きたくなった。
作品は人との触れ合いを通じてくじけた心が再生する話。ただ、再生を手助けするのは人ばかりではなく、自然にもその力がある。この地にそれを感じた。
地方ロケは長くて3カ月、滞在するのはせいぜい半年くらい。お祭りのようなもので、去った後には何にも残らない。しかし、今回は、私自身が鹿追に会社をつくり、住んでいる。
映画を見て癒やされてほしい。鹿追で撮った十勝の風景。十勝の映画としてぜひ多くの方々に発信していただきたい。
◆須永裕之プロデューサー(66)=鹿追出身
父のおかげで協力得られた
鹿追にいたのは17歳まで。監督や中原丈雄さんから「すごくいいところ」と言われ、「そうなんだ」と改めて思った。この業界に携わり、生まれ育った地で映画が作れたらいいなとの思いはあった。古里を日本や世界に発信できる、古里に恩返しできると漠然と思った。ただ、映画はお金も労力も必要。初めは「やれたらいいな」くらいだった。
亡き父は教育長だった。子供のころは家族で2軒長屋の官舎に住み、近所とは家族ぐるみの付き合いだった。「須永さんの息子さんかい?」と声を掛けてくれ、多くの町民が協力してくれるのも父のおかげ。
本当に鹿追の素晴らしさが伝わる映画。地元で「鹿追はこんなにきれいなところだったんだね」と言われることが何よりうれしい。
藤監督と須永プロデューサー おしゃべりな写真館