田村紀人さん死去 帯工高を甲子園に導いた元監督
帯広工業高校野球部を1981年の夏の甲子園大会に導いた田村紀人元監督が10日、帯広市内で亡くなった。84歳だった。
田村さんは帯広三条高出身で、当時は野球部に所属していなかったが大学を経て、教員として野球の指導者の道へ。帯工高の監督を担った81年には北北海道大会で同校初優勝を遂げ、甲子園出場を果たした。
帯三条高を甲子園に導いた高橋基好元監督(83)は田村さんとは同学年で、「シニアのチームでもプレーし、本当に野球が好きな人だった。80年代は“打倒三条”の空気がある中、勝負の面では強気さも感じた。指導者として立派な人格者」としのんだ。
60歳以上の野球チーム「帯広シニアスターズ」では15年ほどプレーし、投手として全日本古希大会4強に貢献。林芳章会長(84)は「葬儀会場には帯工とシニアスターズのユニホームが飾られていた。人柄も良く申し分のない野球人だった」と功績をたたえた。幕別高野球部時代の教え子でシニアスターズで一緒にプレーした蜂谷憲治さん(74)は「幕別高でお世話になり、同じ投手としても対戦相手の攻略などを熱心に教えてくださったことが印象深い」と話した。
(新井拓海、古田千晶通信員)