被災地保健師の思い代弁 市職員、課題を修士論文に
東日本大震災で被災地支援を行った帯広市職員の永井雅姫さん(49)=保健師=が、今月まで仕事をしながら日本赤十字北海道看護大学大学院(北見市)に通い、「東日本大震災において派遣保健師の支援を受け入れた保健師の体験と思い」と題した修士論文を執筆した。受け入れ側の地元保健師が多くの感謝の気持ちを持つ一方で、被災者でもある地元保健師への派遣保健師側の配慮の不十分さなど、知られざる課題や今後への示唆をまとめた。
永井さんは震災発生の2011年、岩手県山田町と福島県二本松市を訪れ、心のケアを中心とする保健指導に当たった。自身の支援を通じ、「その支援で良かったのか、疲れている地元保健師に周りの人がいろいろアドバイスをするのは良かったのか」と感じた。
災害看護について深く学ぶため、13年4月に大学院に入学。論文は昨年7月に岩手県内で働く4人の地元保健師を訪ねてインタビューした際の生の言葉や、話を基にした考察などをまとめた。「今後、同じことを繰り返さないためにも、ネガティブな部分を聞き出したかった」と振り返る。
「現地の職員だって被災もし、その中で対応していく大変さは言葉では尽くせない」「支援が入ることでフォローしなければらないケースがいっぱい出て、結局、地元の保健師が大変になる」-。インタビューでは最初は感謝の言葉が多かったが、次第に本音が打ち明けられた。派遣保健師の熱心な活動が、地元保健師への負担、住民の支援慣れにもつながってしまうなどの課題も分かった。
永井さんは「地元の保健師はどんな被災をしたのかも知られず、あれもこれもやってと言われる立場。その辺りの配慮をすべきだった。被災住民にも、自分の足で歩いていかないとという覚悟を持ってもらえる接し方が必要だった」とし、論文にも書き込んだ。
「普段していることが役に立った」と、4人全員が声をそろえた言葉も印象に残る。「災害時は特別なノウハウやマニュアルが必要と思っていたが、普段の人とのつながりや事業の一つ一つが大事と感じた」という。
50ページに及ぶ論文は2月に完成。今月9日の大学院修了式を経て、21~23日には被災地を訪れ、インタビューをした1人に論文を手渡した。残り3人にも今後渡すほか、学会への提出なども予定している。
3年間、仕事が休みの土曜日などに車で通った大学院生活を振り返り、「こんなに苦労するとは思っていなかったので、感無量」と永井さん。「支援の全てが成功ではなかったこと、熱い思いが必ずしも良い結果を生むとは限らないということを知ってもらえれば」と、今後の支援の在り方を考える一助になることを願っている。(津田恭平)