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「『草の花』の成立 福永武彦の履歴」出版  福永研究の田口耕平さん

評論集を手に「これまでの調査・研究の集大成」と話す田口さん

 帯広ゆかりの小説家・詩人の福永武彦(1918~79年)を研究している田口耕平さん(55)=帯広柏葉高校教諭=が、これまでの調査・研究をまとめた評論集「『草の花』の成立 福永武彦の履歴」(翰林書房)を出版した。表題作をはじめ5本の評論を収録し、「私小説」を否定した福永の作品群に隠された実体験の痕跡を謎解きのように明らかにしている。特に、「封印」された「帯広体験」、帯広での「家族体験」に着目し、新たな視点で福永文学を捉えた。

 収録した評論は、(1)「幼年」論-母の系譜(2)「河」論-父の系譜(3)「草の花」の成立-福永武彦の履歴(4)「夢の輪」論-「寂代」と「帯広」(5)封印と暗号-最後の小説「海からの声」へ。(2)(3)は書き下ろし、その他はこれまでに帯広の「市民文藝」に発表している。

 田口さんは「福永はつい実体験を書いてしまう作家だったからこそ、私小説を否定したのではないか。これまでは、そうした福永の意向に沿った研究が行われてきたが、その逆を試みた」と話す。

 (1)は福永の「真相の隠蔽(いんぺい)」と「痕跡」を論じ、(2)は福永が「遺書」のつもりで書いた「河」が誰への遺書なのかを推理。(3)は「草の花」について「福永の体験から観念へと至る道筋」をたどり、(4)(5)では架空のまち「寂代(さびしろ)」に隠された福永と帯広、家族との関係を明らかにした。

 田口さんは93年に帯広柏葉高校に赴任し、旧職員名簿に福永の名前を見つけて調査・研究を思い立った。福永と帯広との関係は不明なことが多く、「謎に興味を持った」と振り返る。

 調査を続ける中で、福永の長男で帯広生まれの小説家池澤夏樹さんとも知り合い、資料収集が進展。帯広時代に書かれたものも含めて福永の「日記」が発見されるなど、実証的研究を進める上で大きな成果があった。日記はその後、「福永武彦戦後日記」「福永武彦新生日記」として、ともに新潮社から出版された。

 今回の出版について、田口さんは「これまでの調査・研究の集大成」としつつも研究を続ける意向だ。また、本の「帯文」を寄せた池澤さんから「父からの『遺書』を手にすることができましたというメッセージが届いたのが、何よりうれしかった」と感激している。

 「『草の花』の成立 福永武彦の履歴」はA5判、229ページ。本体2800円(税別)。(武内哲)

<福永武彦と帯広>
 1944年に詩人の原條あき子(山下澄)と結婚。45年に帯広の妻の実家を訪ね、同年7月に池澤夏樹さんが生まれた。終戦後に一時、単身で東京へ戻るが、46年に再び帯広へ戻って帯広中学(現帯広柏葉高)の英語嘱託教員の職を得た。しかし、肺結核で帯広療養所に入院、47年に手術を受けるために東京清瀬の療養所に転院した。

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