豊頃で明治期の鉄道遺構確認 橋梁構造物の「橋台」
【豊頃】旧国鉄釧路線(現・根室線)の敷設当時に建造されたとみられる橋梁(きょうりょう)構造物の「橋台」が町内に残されていることが、帯広百年記念館学芸員持田誠さんの調査で確認された。当時を伝える貴重な鉄道遺構として注目される。
大津・十勝川学会(武内利夫会長)のセミナー(5月24日・える夢館)で発表した。
橋台は、河川などに鉄道レールをまたがせるために設ける橋梁を支える一対の構造物。旧釧路線は釧路側から敷設工事が進められ、十勝初の鉄道となる音別-浦幌間が1903(明治36)年に、浦幌-豊頃-利別間が翌04年に開通した。
町内に現存する橋台は鉄道開設当時に造られたとみられ、3カ所に一対ずつ残っている。77年の十勝川・利別川の流路改良に伴って線路が付け替えられ、現在は遺物となっている。れんが製で「イギリス積み」と呼ばれる方式で積み上げている。
持田さんによると、鉄道のれんが製橋台はかつては帯広市内でも見られた。線路の路盤改良や移設などで古い橋台は姿を消し、現在、鉄道開業初期のもので残るのは豊頃の他、新得、浦幌と旧池北線沿いに限られるという。
また、持田さんは、鉄道開設と並ぶ時期に十弗駅に設けられて2006年に撤去された、れんが製の鉄道建造物「危険品庫」についても説明した。
危険品庫は「ランプ小屋」と呼ばれ、信号灯などに使うランプ燃料を保管。現在、管内では浦幌駅のものが唯一となっている。持田さんは「十弗駅の危険品庫は昔の原形をとどめていた」と撤去を残念がった。
持田さんは「十勝で鉄道が開業した当時の資料は西部のものは残されているが、東部は少ない。今後、沿線に残された資料などをたぐり、鉄道整備の歩みを明らかにしたい」としている。(平野明)