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そこに物語あり(71)浦幌・オタフンベチャシ

10月に海岸で見つかったクジラの死骸。後方中央にオタフンベチャシが見える

「寄りクジラ」に沸いた伝説の舞台
 10月初旬、浦幌の厚内と直別の間の海岸で、ヒゲクジラの仲間の死骸が打ち寄せられているのが見つかった。場所は国指定の史跡「オタフンベ(砂・クジラ)チャシ」の近くだ。

近寄る敵を不意打ち
 「チャシ」はアイヌ文化の史跡で、柵(さく)や柵囲いを意味する。町内に10カ所あるチャシの中でも、特にはっきり形が分かる史跡だ。なぜ「砂クジラ」の名前なのか。町教委などによると由来はこうだ。

 「昔、厚岸アイヌが白糠アイヌを攻めたとき、白糠軍はこのチャシを死守。厚岸軍は攻めきれず、夜中に砂でクジラの形を作り、その陰に兵を伏せさせた。夜明けに白糠軍が『寄りクジラ』だと喜んで近寄ったところを不意打ちした」

 同チャシは「お供山型、独立丘の典型的なチャシ」(後藤秀彦元教育次長)で、高さ約27メートル。頂上の平たん部は21メートル×7メートルで、円形の壕(ほり)で囲まれている。ただ、軍勢が立てこもるにはやや小さく、砦(とりで)というより儀礼の場として使われていた古いタイプのチャシと考えられるという。戦いの当事者についても諸説あり、不明な部分も多い。

 一方、海岸に打ち寄せられたクジラを見て、人々が冷静さを失って駆けつける描写は現実的だ。
 チャシから15キロほど東の白糠町馬主来(ぱしくる)の海岸には、寄りクジラをテーマにしたアイヌ民族の踊り「フンペリムセ(クジラの踊り)」の発祥記念碑がある(フンペとフンベは同じ意味)。「白糠アイヌ文化保存会」の代表的な舞の一つで、寄りクジラによって飢えから救われた人々が踊ったのが起源という。

 寄りクジラの周りに集まるカラス、歓喜して肉を削り取る人間、肉を鳥にも分け与える様子を、鳥の鳴きまねを取り入れた軽快な掛け声と、コミカルな動きで大人数で踊る。

ありがたい贈り物
 「一度に大量の食料や油を確保できる寄りクジラは、海岸に住む人々にとってありがたい神様の贈り物だったのでないか」。史跡の社会教育への活用に力を入れる佐藤芳雄町立博物館長も語る。アイヌ民族に限らず、寄りクジラに歓喜する逸話は国内各地にある。

 住民によるとチャシの付近では、何年かに一度、今回のような寄りクジラが発見されるという。鯨を食べる習慣が薄れ、衛生面からの規制もあって人々が殺到することはなくなったが、海岸部では「昔はよく食べた」と話す老人は多い。

 オタフンベチャシと同様の伝説は日高管内様似町など、他の地域にも残っている。多くは砂クジラで相手を欺いた戦いの物語として伝えられるが、同時に、現在とは違った食文化があった時代の記憶でもある。(大笹健郎)

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