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そこに物語あり(61)芽室・西士狩小学校

今も往時の姿を残す旧西士狩小学校

複式教育研究の先進モデルで注目
各地から視察者

 道道帯広新得線沿いに見える旧西士狩小学校(町西士狩北4)のブロックづくりの校舎と、門柱に残る「文部省(現文科省)モデルスクール 十勝単複教育実験校」の表札。西十勝初の公立学校として誕生し、1999年に1世紀の節目とともに閉校した同校の校舎は、1953年の建設当時には珍しい鉄筋コンクリート造で、実験校の取り組みを見ようと各地から視察者が訪れた。

 同校は1899年(明治32年)、西士狩簡易教育所として開校。1999年の閉校までに約1200人の卒業生を送り出した。

 同校の校舎が完成したのは1953年11月のこと。51年には複式教育の先進校として十勝単複実験学校、道単複教育研究校に。翌52年、当時の大村捷三町長(故人)の働き掛けもあり、文部省のモデルスクールの指定を受け同年9月に校舎建設が始まった。

厳寒期建設に協力
 設計は同省施設課の技官と北大工学部教授の指導で、町役場の技師が実施設計監督に当たるなど、当時としては最先端の内容だった。

 工期が冬をまたいだため、工事関係者だけでなく同校に通う児童の親たちも厳寒期の建設作業に協力した。当時、作業を手伝った野沢繁雄さん(82)=町西士狩=は「校舎に使うコンクリートブロックが凍らないよう火で暖めながらの作業で、夜は火の番をしょっちゅうしていた。完成した時は地域の力で建てたという感慨があった」と振り返る。

 こうした地域住民の支えにより、53年11月には新たな学舎として鉄筋コンクリート造平屋建ての新校舎(521・3平方メートル)と木造モルタルの体育館(214・8平方メートル)が完成。モデルスクールとしての体制が整った翌年には、文部省僻(へき)地教育指定校となった。

 指定を受けてからの3年間は、小規模校としての活動が全国の教育界に紹介され、各種研究大会や研修会の会場となった。同校の記念誌によると、多い時には年間2000人の視察者を数えた。

 当時、父親の勇吉さん(故人)が校長を務めていた三寺邦宏さん(69)=町西1ノ7=は「複式の5、6年生の時は、授業を見にいろいろな人が学校に来ていた。忙しそうな父の姿を覚えている」と振り返る。

 78年に校舎西側で増築したが、その後は児童数が減少し、99年3月に100年の歴史に幕を閉じた。同校の敷地では現在、障害福祉サービス事業所「オークル」(古川誠施設長)が事業を展開している。

 地域ぐるみの活動が盛んだった同校の歴史を引き継ごうと、オークルも地域住民との収穫感謝祭や運動会などを開催。古川施設長は「地域の拠点だった同校と同じく、住民とのつながりを大切にしていきたい」と話している。(宮木宗久)

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