十勝監獄炊事場跡公開 帯広市教委 詳細調査・保存検討
帯広市内の緑ケ丘公園内で「北海道集治監十勝分監(十勝監獄)」の炊場(炊事場)跡が発見されたことを受け、市は17日午前11時から現地を報道陣に公開した。跡には穴が東西に2個並び、煙道の溝や野菜貯蔵庫とも推測される台形部分なども確認された。市教委は詳細な調査を進めるとともに、保存方法を検討する。
現地説明会には、報道陣約30人が集まり、市生涯学習部の敦賀光裕生涯学習部企画調整監と帯広百年記念館の北沢実館長が説明した。遺構は、市が進めているバリアフリー工事の場所で、園路の幅4メートル×長さ16メートル、深さ1・2メートルの範囲で、4日にレンガが発見され。
場所から推測すると十勝監獄の炊場跡で、上部が取り壊された後の下部とみられる。横3・6メートル、長さ3・8メートルのレンガが積み重なった跡に、内径1・36メートルと1・08メートルの穴が東西に2個並び、煙道と推測される溝も確認できた。さらに西側に野菜貯蔵庫と推測される台形部分が見える。
北沢館長によると、炊事場は同館で保管している同監獄の配置図とは向きや建物と完全に一致しておらず、上部に何か構造物が建っていたか、南の方にさらに伸びている可能性もあり、具体的な使用方法も含めて今後さらに調べる。地下の見えない部分はX線を使って、建物の広がりなどを今後確認する。
十勝監獄は石油庫が1982年に市指定文化財に指定されており、北沢館長は「生のさらなる遺構が、100年以上の歳月をかけてわれわれの目に出てきたのが驚き」と話した。
遺構は調査後の7月18日に「埋め戻し」をして保存する予定。その後のバリアフリー工事は、いったん舗装をするが、将来的なことも考え、掘り起こして見られるようにすることも視野に入れる。
敦賀調整監は「十勝の歴史を支えた監獄をもう一度見直す機会にしたい。改めて調査し、状況が許せば周辺も調べる可能性もある。調べた後は看板や説明板を設置するなど表示の工夫を考える」としている
1895年(明治28年)に分監として開設され、1903年(同36年)に独立改称された十勝監獄には、帯広駅南側の総面積1700ヘクタールに、全国から集められた約1000人の囚人と看守約500人が生活していた。元市議会議長の嶺野侑さんは、同監獄が帯広の基盤整備に果たした意義を講演で語り続けており、「監獄の歴史を物語る設備が出現したことは、極めて大きな発見だ」と話す。
同跡の一般公開は21、22日午前11時からと午後1時から行う。
(山岡瑠美子、原山知寿子)
◆十勝監獄について
・十勝監獄石油庫の場所や歴史的価値に関する説明など-帯広市公式ホームページ
・十勝監獄の歴史学ぶ、教誨師会が研修会-十勝毎日新聞電子版(2013/02/01)
・まちマイ「十勝監獄」-十勝毎日新聞電子版(2013/04/22)
・取材ノート「監獄の歴史」-十勝毎日新聞電子版(2013/06/10)
・十勝監獄炊事場跡の遺構発見 帯広の緑ケ丘公園内で-十勝毎日新聞電子版(2014/06/16)