十勝稲作発祥の地に碑 音更・下士幌の増田さん建立
【音更】明治期に町下士幌地区に水稲を作付けし、十勝で初めて稲作に成功した増田立吉(1865-1908年)の功績をたたえる顕彰碑が、立吉の孫春雄さん(88)によって、十勝水田の発祥地である町下士幌基線東61の畑地脇に建立された。25日、増田家の関係者が集まる中、お披露目された。
音更町史などによると、福井県出身の立吉は1889(明治22)年、既に入植していた上磯町(現北斗市)から士幌川河岸(現在の下士幌地区)に入植。93年に水稲約30アールに種籾(たねもみ)をまき、試作に成功した。翌94年には0・5ヘクタールを作付けし、152キロの米を収穫したことから、十勝で初めて稲作に成功したと伝えられている。
立吉は1906年、音更村の誕生とともに、初代の村議となり、下士幌神社の設立に貢献するなど地域の振興に寄与した。
そうした祖父の功績を形に残したいと顕彰碑の建立を計画。25日には春雄さんの他、長女前田智恵子さん(60)、晃則さん(59)夫妻=上然別=やきょうだい、親せきなど10人が集まり、お神酒を飲みながら立吉さんの功績に思いをはせた。
顕彰碑は黒御影石製で高さ約2メートル。「十勝水稲発祥の地」と記されており、小野信次町長が揮毫(きごう)した。顕彰碑の前に設置された「十勝水田の始祖」と題した石板には、立吉の経歴が記されている。
春雄さんは「祖父は下士幌地区発展の基礎を作った。先祖が足を踏み入れたこの地に碑を建てることができてほっとしている」と話している。
下士幌地区では、昭和50年代まで、稲作が行われていたが、その後は作物転換で減少。町によると、現在町内で稲作を行っているのは3軒、作付面積は計5ヘクタールとなっている。(鈴木裕之)