25歳で亡くなった西村さん 女子サッカーへの思い継ぎ帯北高が冠大会
昨年9月6日、十勝地区サッカー協会女子副委員長の西村笑理菜さん(幕別町出身)がくも膜下出血のため25歳の若さで亡くなった。選手に慕われ、女子サッカー普及に尽力していた矢先での悲劇だった。「笑理菜の名前を残したい」。同協会女子委員長で帯広北高校女子サッカー部の渡邉純一監督が強く希望し、4月5、6の両日、同校主催の女子サッカー大会「西村杯」が開かれる。(織戸駿哉)
突然の脳死
「私たちもどうして笑理菜が死んだのか分からないんです」。父昭朋さん(63)と母弘美さん(60)は口をそろえる。笑理菜さんは昨年8月中旬から体調が悪い日が続き、同25日に41度の発熱で帯広市内の病院に救急搬送された。検査で異常は見つからなかったが、治療に集中できる病院で入院することに。この日は問題なく会話もできる状況だったが、翌日に集中治療室(ICU)に移ることになり、家族も病室に入ることを禁じられた。
この日の夕方に交わした「また明日、面会に来るね」が最後の会話だった。同27日から亡くなる9月6日まで寝たきりの状態が続き、同4日に脳内出血を起こして脳死と告げられた。
脳死後、医師からは「あと2、3日は心臓が持つ」と伝えられ、同5日は数多くの友人や関係者が病院に駆けつけた。「人に心配をかけたくないから入院していることを誰にも話していなかったと思う」と昭朋さん。次から次に駆けつける人の多さは笑理菜さんの人望を物語った。同6日午後2時37分、笑理菜さんは家族にみとられて天に旅立った。
指導者の道へ
サッカーを愛していた。大好きな兄恒哉さん(27)の影響で小学2年生から白人少年団で競技を始めた。高校は渡邉監督(当時)率いる道大谷室蘭高に進学し、インターハイや冬の選手権などに出場。中盤から針の穴を通すようなパスを配給し、攻撃の核としてピッチを走り回った。
その後仙台大に進学し、指導者を志した。指導者ライセンスや中高教員免許も取得し、2022年春からJA幕別町勤務のため十勝に戻った。23年春に渡邉監督が帯北に移ったことで同年から同校の臨時コーチを務めた。プレーを実際に見せて教えるスタイルで、選手からの評判も高かった。
西村さんは女子サッカーに対して常に真摯(しんし)に向き合ってきた。渡邉監督は「笑理菜がサッカーの礎を築いたのは十勝。恩返ししたい気持ちはあったと思う」とまな弟子の心情をおもんばかった。
恒例の大会に
西村杯には道内から17チームが参加する。「毎年恒例の大会にしたい」と渡邉監督。西村さんのサッカーへの情熱は忘れられることなく、十勝、北海道で女子サッカーに励む選手に引き継がれていく。
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