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「一日一日大切に生きる」親族一家が犠牲 子どもに伝える震災の記憶

中学1年の時に書いた作文や、がれき処理に訪れた際の大槌の写真をまとめたファイルを手に、当時を振り返る勇進さんと亜由美さん

織田亜由美さん勇進さん母子
できることを 被災地交流励む

 「僕ができること。琉生の分も一日一日大切に生きること」。東日本大震災で叔父一家を亡くした織田勇進さん(24)=池田町=は中学1年生の時、誰に読ませるわけでもない作文に、いとこの琉生(るい)ちゃん(享年2)との思い出と共にそう記した。

◇自慢の工房流され
 音更町出身の叔父益田正直さん(同38)は水産加工業を営むため岩手に移り住み、大槌町で海産工房を立ち上げた矢先に震災に遭遇。妻美保さん(同40)、長男琉生ちゃんと共に津波で亡くなった。小学6年生の勇進さんが1人で大槌へ遊びに行き、新築したばかりの正直さんの家で楽しい時間を過ごして間もなくのことだった。

 正直さんは勇進さんの母亜由美さん(56)=音更町=の弟。震災から3カ月後、亜由美さんが初めて訪れた大槌には、誇らしげにまちを案内してくれるはずの正直さんの姿はなく、琉生ちゃんの名を冠した工房も流されていた。正直さんが愛した大槌を見られなかった後悔から、亜由美さんもまた「毎日を丁寧に生き、やろうと思ったことはすぐ実行しよう」と誓った。

大槌学園への引っ越し作業を手伝う勇進さん(右から2人目)ら音更の高校生(2016年。亜由美さん提供)

◇音更子ども食堂も
 亜由美さんは翌2012年、周囲の有志の協力を得て、被災地との交流事業をスタート。13年には大槌など被災地の中学生を音更に招き、町内の中学生と交歓野球大会を開いた。下音更中野球部に所属していた勇進さんも参加。「震災で家族を亡くした子もいて、特にそのことを話したわけではないけど気持ちをシェアできた感じ」と振り返る。

 「いまいる。プロジェクト」と名付けたこの取り組みは、「無理をしない」ことがモットー。その時々で被災地が求めること、メンバーができることをしてきた。16年に大槌町が小中一貫の「大槌学園」を新設した際には、勇進さんら音更の高校生を連れて、仮校舎からの引っ越し作業を手伝った。19年からは音更町内で「子ども食堂」を開いている。亜由美さんは「地域間の横のつながりや世代間の縦のつながりをつくることで、困ったときに誰かが助けてくれる環境を子どもたちに残したい」と語る。

◇池田中の教壇に
 形を変えながらも活動を継続してきた亜由美さんだが、「被災地のために何かできただろうか」といつも自問している。それでも、プロジェクトに関わった子どもたちの成長を目にすると、続けてきたことに意味はあったと感じる。プロジェクトを通じて「自分に何ができるか」を考えた子どもたちはその後、消防士や弁護士になったり、建設業に就いて災害に強いまちづくりを目指す子も。

 勇進さんは今、池田中学校の教壇に立ち、生きていれば琉生ちゃんと同じ年頃の生徒に、あの作文を見せている。「今の子どもたちにとっては、もう東日本大震災は教科書の中のことになっている。自分の経験を通じて、子どもたちに命の大切さを伝えていきたい」
(丹羽恭太)

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