理容セイノ70周年 昔ながらの技術で「癒やし」
人情の厚さは先代から 昌高さんは妻とタッグ
帯広市内の「理容セイノ」(大通南8)が創業70周年を迎えた。「癒やし」をテーマとする独自のスタイルを求めて多くの常連が通い続けている。代表の清野昌高さん(66)は「お客さまにかわいがってもらい70年の節目を迎えられた。持ち味である昔ながらの手の込んだサービスを守っていきたい」と話している。
セイノの原点は戦時中までさかのぼる。昌高さんの父で先代の芳高さんは、負傷者の治療など医療に関する業務を行う衛生隊に所属。伝染病の予防として兵士の散髪も担当していた。戦後に東京の理容学校で技術を磨き、1952年に現在地で開業した。
芳高さんを支えたのが、今年1月に91歳で亡くなった妻節子さん。芳高さんと共に店を営み、芳高さんが55歳の若さで亡くなった後も、気丈に店をもり立てた。よく「お客さんとの会話が宝」と口にしていたという。「一緒に仕事をしてお袋の存在の大きさに気づいた」。2代目の昌高さんはそう振り返る。
昌高さんは帯広柏小、第六中(当時)、帯広北高卒。グラフィックデザイナーを目指して京都造形芸術学院(現京都芸術大学)に進学。在学中に芳高さんが市議会議員2期目に当選し、議員活動や消防団長として走り回る姿を見て、家業を継ぐことを決心した。
漫画家を目指した時期もあったほど手先が器用な昌高さんだが、「理容は年齢が関係なく技術が全て。一人前になるために必死だった」と駆け出しの頃を振り返る。かみそりは現在のような使い捨ての物がなく、閉店後の消毒と刃先を研ぐ作業で手が腫れた。
芳高さんが他界して以来、40年以上にわたり店を守ってこられたのは、昌高さんの妻エミさん(58)の存在も大きい。エミさんは先代の最後の弟子で「先生(芳高さん)が店に立つと空気がピリっと変わった」と懐かしむ。指導に熱心で、自ら顔そりの練習台にもなっていた。人情派で人の頼みは断れない性格。そんな芳高さんが店の土台となっていることを、いつも実感する。葬式の香典は1600件に上り、現在も当時のファンが店に通っている。
昌高さんは、2009年に理容業界で最高峰の教育課程「理容大学科」を修了し、理容技学士の称号を獲得。特に人気のサービスが、最後3分間のマッサージ。常連客から「体が軽くなった」と好評だ。趣味も多彩でヘアデザイン画で全国金賞、渓流釣りの達人で十勝毎日新聞のフィッシングリポーターとしても活躍している。
店の将来については、息子の共平さん(33)と理美容業界の動向や経営などを話し合っているところ。昌高さんは「自分は75歳までは頑張る。親子3代で100年続けられたら」と青写真を描いている。
料金は3700円。午前9時~午後5時半(最終受け付け)、日曜・祝日は最終受け付けが午後5時。月曜定休。問い合わせは同店(0155・23・5304)へ。(岡田優人)