高校野球の名将・三島直政元監督亡くなる、帯三条高と帯北高を計4度甲子園に導く
帯三条高と帯北高の野球部を夏の甲子園大会に計4度導いた三島直政元監督が24日、帯広市内で食道がんのため亡くなった。87歳だった。十勝の野球関係者は功績をしのび、来週、お別れの会を予定している。
三島さんは忠類村(現幕別町)出身。忠類小、忠類中、帯三条高、法政大を卒業後、教員となり忠類中で教壇に立った。野球指導者としては1961年に帯三条高監督に就任。翌62年に北北海道大会決勝で、帯柏葉高との初の十勝対決を制して甲子園出場を決めた。65年にも出場し、初戦で八戸(青森)を破り、南北分割後の北北海道勢として初勝利を挙げた。
85年からは帯北高の監督を務め、87年に春季全道大会を制覇。夏季大会でも優勝し、同校初の甲子園出場を決めた。89年にも夏の甲子園出場を果たすなど、十勝の高校野球の実力を大きく向上させた。
夏季高校野球の第100回記念大会となった2018年の十勝支部予選では、十勝のチームを甲子園に導いた監督ら5人のうちの一人としてユニホーム姿で始球式に登場した。共にその場に臨んだ帯三条高元監督の高橋基好さん(81)は「温厚な人柄で人を動かす力に優れていた。選手たちにも優しく接していた。惜しい人を亡くした」と話す。
プロ野球の千葉ロッテマリーンズのウグイス嬢として活躍する谷保恵美さん(56)は三島さんの長女。谷保さんは「野球を見始めたのは父の影響で、小さいころは一緒にナイター中継を見ていた。電話をすると、『今年の十勝はどこが強い』と、野球の話が止まらなかった」と父をしのんだ。(新井拓海)