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北大クラーク像は亡父の作品 作品は帯広ゆかりの彫刻家田嶼碩朗

著書「彫刻家田嶼碩朗」を持つ山崎さん

 札幌の観光名所でもある北大クラーク胸像を制作した本当の作者を明らかにする著書が発刊され、美術界で注目されている。知られざる真の作者は、帯広・中島公園の依田勉三立像を作った彫刻家田嶼碩朗(たじま・せきろう、1878~1946)。戦後、別の彫刻家が作者として定説化していたため、田嶼の末娘山崎貞子さん(90)=札幌=が初の著作「彫刻家 田嶼碩朗」で真相を究明、亡き父の功績に光を当てた。

 田嶼は明治、大正、昭和にかけて活躍。道内では、札幌大通り公園・聖恩讃仰塔(せいおんさんぎょうとう)など40基以上を制作した。しかし、多くが戦時下の貴金属回収令で撤収された不運な芸術家でもある。

 「BOYS BE AMBITIOUS」の文字が刻まれた北大クラーク胸像も同じ運命をたどった。クラーク博士は北大の前身・札幌農学校の象徴的な教育者。北大の依頼を受けた田嶼が1926年に制作したが、43(昭和18)年戦争に供出された。

北大にある田嶼のクラーク胸像。

 作者の誤表記は、戦後の胸像再建立がきっかけ。戦前の胸像のまま再現しようと、札幌独立キリスト教会に保存される田嶼の石こう原型を使い鋳造した。田嶼が他界したこともあり、監修として関わった別の彫刻家が作者のように誤って伝えられた。

 彫刻の専門書でも誤表記が見つかる現実に、山崎さんは危機感を抱き、2006年調査を思い立った。「芸術家にとって作品は命。クラーク胸像は父が一生懸命制作した作品だと知ってほしい」と出版した。著書(共同文化社刊)はA5判、414ページ、田嶼のほかの作品も紹介している。

 札幌芸術の森美術館の吉崎元章副館長は「(石こう原型の前に作る)粘土状態のクラーク像の写真が見つかり、形状が現在の胸像と同じだった。(作者のように誤表記された)監修は表現者である彫刻家の仕事とは言えない。作者は田嶼碩朗のみを表記するのが妥当」と指摘する。

 北大キャンパスにある胸像案内板でさえも依然、誤表記されており修正が今後の課題。ただ、山崎さんの調査を契機に、クラーク博士と縁が深い札幌独立キリスト教会が、胸像を後世に伝えようと田嶼の石こう原型を使ってブロンズ像を2013年に制作した。同協会会員の医師平林良登氏(76)は「協会の宝物」とする。

 山崎さんは「この本を読んで真実を理解してもらえれば」と話している。
(児玉匡史)

田嶼碩朗氏

<田嶼碩朗>
 福井県生まれ。東京美術学校卒。明治天皇、大正天皇の用命を受けた制作も。海軍大将東郷平八郎から賞賛され、詩人室生犀星と親しかった。中島公園(帯広市東3南2)の依田立像は1941年の田嶼作だが、戦時供用で現在は別の彫刻家が再建した。

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