上厚内神社 開拓以来の歴史に幕 浦幌
【浦幌】町上厚内地区にある上厚内神社の御神体が2日、浦幌神社(背古宗敬宮司)に合祀(ごうし)され、明治の開拓期以来100年余りの歴史に終止符が打たれた。毎年9月に祭礼を行うなど地域に親しまれてきたが、住民が減少し維持や管理が困難になった。住民は寂しさを感じるとともに、無事に遷座(せんざ)を終えて安堵(あんど)の表情をみせている。
上厚内神社の社殿ではこの日、氏子4人と関係者らが見守る中、遷座祭が執り行われた。参列者は一人ひとり玉串をささげて参拝し、家内安全など今日までの感謝を表した。背古宮司が祝詞をあげ、御神体を慎重に抱えて移動。浦幌神社では関係者が集まって合祀祭が行われ、遷座を終えた。
浦幌町史などによると、上厚内神社は1909、10年(明治42、43年)ごろ、造材業を営んでいた今村浅次郎氏の提唱でお堂を建立したのが始まりとされる。27年(昭和2年)に地域住民の協力により社殿が建立された。その後他の場所に移転したが、58年(昭和33年)に元議長の畠山勲氏が用地を寄付し、現在地に新築再移転した。73年(昭和58年)に改築され、その際に現在の鳥居も建立された。
昨年までは毎年9月7、8日ごろに祭礼が行われてきた。境内には正式に神社として登録された28年(昭和3年)に今村氏が奉納した手水(ちょうず)鉢などが残されている。
同地区は09年ごろに入植が始まり、71年発行の町史によると、69年には41戸が居住していたが、時代の流れで人口が減少し、現在はわずか3戸5人となった。
総代長を務めていた山本清孝さんは7月に他界。妻のサツコさん(72)は「夫が亡くなる前から(合祀は)地域で相談していた。無事に終わり一安心。夫に報告する」と話した。
(円子紳一通信員)