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晩成社バター工場跡のレンガか 帯広百年記念館

晩成社のバター工場のものとみられるレンガを持つ大和田学芸員

 十勝開拓の祖、依田勉三が率いた晩成社のバター工場のものとみられる耐火レンガが、帯広百年記念館(帯広市緑ケ丘2)に収蔵されている。同館の大和田努学芸員によると、晩成社の事業に関連する遺物は数少なく、当時の晩成社の活動の様子を探る上で貴重な史料だという。

 芽室郷土史研究会長の加藤公夫さん(68)が4月に同館へ寄贈した。

 加藤さんは農業改良普及員として大樹町で勤務していた1983年ごろ、同町生花地区の畑でレンガを発見した。晩成社の農場があった場所を見学に行ったところ、土地の所有者から、そこに建っていたバター工場を取り壊したことを聞かされた。跡地にはレンガが複数転がっていたという。加藤さんは歴史的に貴重な物と考え、このうちの2個を保管してきたが、「個人で持っているよりも、百年記念館で保管して研究や展示に生かしてもらいたい」と寄贈した。

 大和田学芸員によると、晩成社の農場内では建物の配置がたびたび変わっているため、レンガがどの建物で使われていたか断定できないという。ただ、加藤さんが発見した際の土地所有者との詳細なやりとりから、バター工場の一部だった可能性が高いとみる。

 2個のうち一方の片面には、「MARUTA MITSUISHI」と刻印されている。大和田学芸員は「ミツイシ」は耐火レンガの生産地として有名な岡山県備前市三石地区に由来し、「マルタ」は製造会社の屋号ではないかと推測する。

 晩成社は1886(明治19)年に生花地区で農場を開設。農業以外にも缶詰製造などさまざまな事業を展開した。バター製造は1906(同39)~18(大正7)年の間に行われ、「マルセイバタ」の名前で売られた。大和田学芸員によると、バター工場を建設したのは10(明治43)年ごろで、販売が軌道に乗って増産を図ったことがうかがえるという。

 大和田学芸員は「依田勉三の私物や、晩成社についての文献資料は多く残っているが、事業に関連する物はほとんど残っていない」と話し、レンガについて「晩成社の事業を語る上で貴重な史料」としている。
(丹羽恭太)


◆帯広百年記念館について
帯広百年記念館-公式ホームページ

関連写真

  • 晩成社のバター工場のものとみられるレンガ

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  • 加藤公夫さん

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