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十勝の友人からの支援支えに 陸前高田市の三嶋さん親子

戻ったメダルと淳一さんの写真を前に思い出を語り合う三嶋さん一家。右から凪君、孝子さん、花さん、萌さん(11日、岩手県陸前高田市の仮設住宅で)

 【岩手県陸前高田市】東日本大震災で被災して津波で流されたメダルが返還された三嶋凪(なぎ)君(12)は、母親の孝子さん(43)と姉2人の4人で、陸前高田市で元気に暮らしている。しかし、父親の淳一さん(当時43)は津波に流されて行方不明となり、現在も手掛かりさえつかめていない。十勝に住んでいたころの友人らの励ましもあり、仮設住宅で落ち着いた暮らしを取り戻しつつ一方で、震災から3年近くたつ今もなお、一家にとって被災の現実は続いている。

営農目指し鹿追に12年
 淳一さんと孝子さんは2人とも同市出身で結婚後の1997年、農業を志して富良野市に渡り、98年4月からは鹿追町に移って同町内の農事組合法人に務めた。同年に長女萌さん(15)、2000年に次女花さん(13)、01年には凪君と3人の子供をもうけ、10年3月まで12年にわたり十勝で暮らした。

 イチゴのハウス栽培で独立して営農する夢を実現するため同年4月、故郷の陸前高田市へ戻った。資金・資材の準備など2年越しの計画を立てていた矢先の11年3月、一家は被災した。

 孝子さんは勤務先から、3人の子供はそれぞれ学校から高台に逃れて無事だった。しかし、自宅は津波に流され、淳一さんが行方不明に。淳一さんは20代まで10年ほど消防署員を務めており、知人や目撃者らの話によると、低地にあった避難所にいた人たちを津波から逃がそうとして自らが流されたとみられるという。

 孝子さんは「いまだに信じられない。今も背格好の似た人がいると『あっ』と思う。津波が来て自分だけ助かっていられないと思ったのだろう。真面目な人だった」と振り返り、凪君は「十勝にいたとき、キャンプに行き、とっと(お父さん)が縄と板で手作りのブランコを作ってくれたのが一番の思い出」と語る。

 震災から1年たった12年2月、一家は淳一さんの葬式を執り行った。

 凪君は今春、陸前高田市の小学校を卒業して中学生になる。長女の萌さんは現在、盛岡市内の高校に進学して十勝時代から続けているスピードスケートに打ち込む。次女の花さんも地元の中学校でバスケットボールや勉学に励んでいる。十勝で暮らした時期について、3人は「雪遊びが楽しかった」と口をそろえる。

 盛岡市で寮生活の萌さんを除いて凪君と花さん、孝子さんの3人は今年、震災後初めての旅行で首都圏にあるテーマパークを訪れ、ひとときの楽しい時間を過ごした。凪君は「将来はテーマパークで働きたい」と目を輝かせている。

 ただ、孝子さんは「正直に言って先々の暮らしがどうなるか…」と不安を隠せない。そんな時に手にするのは、津波で流されたがれきの中から知人が見つけ出してくれた淳一さんの消防手帳だ。「いつも肌身離さず持っている。本当は、困った時に相談できるよう、(淳一さんが)そばにいてくれたらと思うけど」

心の支えは十勝の友人
 被災後、一家の元へは十勝・鹿追の友人や知人らから多くの支援物資や励ましの手紙などが届き、心の支えになっている。

 孝子さんは「今もたまに十勝の友人らから連絡があると、何より気持ちがありがたい。十勝とは離れているけど私たちを忘れずにいてもらえるのがうれしい。少しでも気に掛けてもらえることが、被災地の支援につながるのだと思う」と話している。
(井上朋一)

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