「一日労働」中学生もブドウ収穫 町出身記者の思い出 まちマイ池田編
「一日労働」-。私が中学生だった1985~87年には、こういう名称でブドウ畑に駆り出されていた。
中学生の労働力をブドウ収穫に使うようになったのは81年から。農作業の機械化に伴い畑作業需要が減少。替わって特産品・ワインの原料で、町内に広がるブドウ畑に着目、課外体験と社会奉仕、ブドウに親しんでもらうのが狙いだった。
弁当持参で千代田地区にあったブドウ畑へバスで移動、一列ごとに数人が配置され、2人一組で向かい合って摘む。先生が数人、常に監視で見回り-。
文字にすると「強制労働」みたいだが、これが結構楽しかった。160人ほどが一気に畑に入るので、先生の目は全部に届かない。「いくら食べてもいい」と言われているので、食べる食べる。多少酸っぱかったが、当時はおいしく感じた。手の中でブドウを握りつぶし、腕にしたたる果汁を飲む“野生児”も。私は木綿のハンカチに入れて搾って飲んだ。紫色に染まったハンカチが母へのいらぬ土産だった。
中には白ワインの原料で、生食兼用種があった「立ち入り禁止」のエリアに突入して食べる人も。ここは監視が特に厳しく、見つかると強制送還された。
しまいにはまくら投げならぬ「ブドウ投げ」が始まる。幾畝も離れたところにいる友達に粒を投げるのだ。当てられた方も、誰にぶつけられたか分からず、適当に投げ返す。ヒートアップして先生が怒鳴った。
これだけ遊んでも、不思議と昼までに割り当ては終わった。「収穫作業1、2日分になった。取りこぼしもあったがとても助かった」と、当時を知る町ブドウ・ブドウ酒研究所の坂本恭祥製造課長。道内で機械を導入したところもあるが、木も傷むし実もつぶれて酸化するなど、まだ現実的ではなく、池田では引き続き手数が必要だという。
96年の成人式から、中学のときに自分たちで収穫したブドウで造った清見が贈られている。…あれ、じゃあ私たちの労働の対価って?
「謝礼金を学校に渡して備品を買っていただいていた。卒業時のテーブルマナー講習会もお礼を兼ねたものだった」と坂本課長。確かに食べた。ワイン城で十勝牛フルコース。でも味の記憶がない。労働の合間に友達と隠れてむさぼった、あの甘酸っぱいブドウの味はよーく覚えているのだが。(植木康則)