帯広出身の宮本将平、BCリーグ石川入団
高校野球で通算21本塁打を放ったスラッガー、宮本将平外野手(22)=道東海大、帯北高出=が、プロ野球独立リーグ、BC(ベースボールチャレンジ)リーグの石川ミリオンスターズ(石川県)に入団した。中学校で一緒にプレーした1歳下の杉浦稔大(東京ヤクルト-国学院大、帯大谷高出)に大きな刺激を受けながら、北海道日本ハムなどが所属するNPB(日本プロ野球機構)のチーム入りを目指す。(岡部彰広)
十勝のスラッガーが、新たな一歩を踏み出した。14日に球団が発表した。「100%野球に打ち込めるようになれたので、1年目からガツガツやりたい」と意気込む。背番号は「10」
啓西小ではアイスホッケー選手。野球は遊び程度だったが、仲間に誘われて帯西陵中から野球部に。「最初はホッケーのためにやる夏のスポーツだったが、中学2年のときにそれが逆転した」。フライが取れず、打てもしなかった初心者状態から急激に上達したからだ。
2年夏には南町球場で柵越え本塁打を放つなど、強打者の片りんを見せた。「野球の好きな三好且浩先生の下でやっているうちに面白くなった。今自分があるのは先生と野球に誘ってくれた中河康平君(江陵高野球部OB)のおかげ」と話す。
持ち味は50メートル5秒8の俊足。中学1年生までは足が遅かったが、野球の練習後にダッシュを何本も繰り返す努力が実り、武器となった。高校では強打と併せ主軸で活躍。しかし、最後の夏の十勝支部予選決勝で、本塁打を放ちながらも逆転負け。「そのときの夢を今でも見る。試合のDVDも悔しくて見られない。ただこの敗戦があったからもっとうまくなりたい、上の野球に触れてみたいと思うようになった」
大学では不調や、リーグ移動に伴う2部落ちなどを味わったが、卒業後の昨年は春季キャンプ先が静岡だった縁から、浜松市の社会人クラブチームに所属。昨秋のBCリーグのトライアウト(入団テスト)を経て、12月にドラフト指名を受けた。鍛えられた太さ60センチの太ももや体幹の強さなど、身体能力の高さが評価された。
「NPBへのチャンスは25歳までしかないと考えている」。仕事との両立から、野球だけに集中できる環境を望み、さらに2007年の発足以来、NPB入りが20人に迫ろうとしている同リーグ入りの願いがかなった。石川には、元大リーガーの木田優夫投手兼GM、女性投手の吉田えりが在籍するなど注目度も高い。しかし、まだ目標のスタートラインに立ったばかり。喜びは封印している。
この正月には杉浦と一緒に食事をし、勇気をもらった。社会人野球8年目の日本通運の主砲、小甲和俊(道東海大、帯北高出)とも会い、気持ちを高ぶらせた。2月中旬のキャンプインを控え、「応援してくれる人が一人でもいるなら諦めずに頑張り抜きたい」としっかり前を見据えた。
1991年、帯広生まれ。帯西陵中から軟式野球を始めた。帯北高では俊足強打の4番中堅手として活躍し、2年秋に道大会出場。3年夏は支部代表決定戦で、杉浦稔大も投げた帯大谷に惜敗した。道東海大では2年生でベンチ入りしレギュラーに。昨春卒業後、社会人クラブチームの浜松ケイ・スポーツBC(静岡県)に1シーズン在籍した。右投げ右打ち。177センチ、80キロ。
2006年に設立し、翌年から試合を開催。現在は北陸、上信越の6チームによるリーグ戦を前期と後期に分けて実施。両地区の優勝チームによるリーグチャンピオンシップで、年間総合優勝を競う。昨年は石川が制した。