サンタランド 町彩る「奉仕と感謝」の灯 まちマイ広尾編
「3、2、1、ゼロ!」。合図とともに高さ15メートルのジャンボツリーに赤、白、黄色の明かりがともる。1984年12月22日の昼下がり。広尾サンタランド誕生の瞬間だった。セレモニーに参加した当時の広尾町長・泉耕治さん(83)は「サンタランドの基本理念である『愛と平和、感謝と奉仕』のまちづくりが始まった」と、町が新たな一歩を踏み出したことを実感した。
△子供に夢を
広尾がサンタクロースの郷里ノルウェー・オスロ市が認めた国外初、日本で唯一のサンタランドとなったのは、80年にオープンした広尾海洋水族科学館がノルウェー・ベルゲン市にある国立ベルゲン水族館と姉妹館提携を結んだことに始まる。提携実現に尽力したのが当時ノルウェー政府の水産省特別顧問だった魚井一生氏(79)=神奈川県逗子市在住=。町内でスナックを経営する魚井郁生氏(78)の兄だったことから、広尾のために奔走していた。
あるとき、「子供に夢を与える事業はまちづくりに欠かせない」とサンタクロースについて調べていた泉さんが一生氏に相談したところ、ノルウェーのサンタクロースが「愛と平和、奉仕と感謝」の精神に支えられていることが分かった。「まちづくりに対する自分の考えと同じもので、とても共感した」(泉さん)。
泉さんら町幹部はノルウェーの首都のオスロ市長が世界中の子供たちからサンタクロース宛てに送られてくる手紙に対しクリスマスカードを届けていることに着目。「日本でもサンタメールを」と要請し、84年11月にオスロ市からサンタランドに認定された。
同年12月に大丸山森林公園で行われたサンタランド設立認定式には、多くの子供たちが詰め掛けた。ジャンボツリー(広尾産トドマツ)は200~300個の白熱灯で飾られた。当時、クリスマスに合わせた生木ツリーの点灯式が珍しかったこともあり、日中だったにもかかわらず、子供たちの笑顔が一斉に広がった。
△目玉事業に
85年にはサンタランド事業がスタート。町は日本初のサンタランド係を立ち上げ、全国の新聞、ラジオにサンタメールなどについて情報提供。当時、同係の担当者だった厚谷幸則さん(56)=現特別養護老人ホーム次長=は数多くのラジオに電話出演し、「日本で唯一のサンタランド係員の厚谷です」とPRした。オスロ市がロンドン市のトラファルガー広場に巨大クリスマスツリーを毎年贈っているように、サンタランドの精神を託したツリーを広尾から国内他都市に贈るツリー事業も始めた。初年度のサンタメールは2万4000通の申し込みがあった。
当時、地域活性化の流れは地場に根付いた特産品を生み出す「一村一品運動」が主流で、他自治体には広尾の取り組みが奇異に映っていた。それでもサンタメール事業やツリー事業は「広尾の目玉」として30年間、途切れることはなく、今も続いている。
△「幸せを呼ぶ」
2008~11年にサンタランド係長も務めた厚谷さんは、現在も毎年サンタランドのシンボル・大丸山森林公園に家族で足を運び、広尾の夜を彩るイルミネーションを見ている。「まばゆい光りを見るたびにサンタランドの歴史を感じる」という。
30年目を迎えた2013年。サンタメールの申し込み数の減少など課題もあるが、町は「ツリーくん」に代わるサンタランド新キャラクターを小中高校生から公募するなどサンタランドの推進を強化する方針だ。「サンタランドは幸せを呼ぶ取り組み。一歩でも二歩でも前に進んでもらいたい」。町民の一人として、サンタランドの未来像を思い描く泉さんは「サンタのまち・広尾」の発展を願っている。(関根弘貴)