帯広出身、南相馬の佐々木さん 被災地の日常ブログで発信
【福島県南相馬市】東日本大震災と福島第1原発事故で被災した福島県南相馬市で、帯広市出身の元大学教授佐々木孝さん(76)=スペイン思想研究家=が震災後も現地にとどまり、被災地の日常をインターネットのブログで発信し続けている。日々の生活をつづるエッセーには、庶民の目線から震災復興や原発再稼働、政治や社会問題に対する意見がユーモアたっぷりに記され、大震災を経た日本社会が考えるべきことを問い続けている。
佐々木さんは1939年に帯広市緑ケ丘で生まれた。41年に家族で旧満州に渡り、戦後の46年に帯広に引き揚げて柏小学校に入学した。50年に先祖の地の福島県原町(現南相馬市原町区)に移住。上智大学外国語学部イスパニア学科・同文学部哲学科を卒業し、清泉女子大(東京)などでスペイン思想などを教え、退職後の2002年から南相馬市原町区に住んでいる。
11年3月11日の大震災では、福島第1原発から二十数キロの自宅で被災。原町区には屋内退避指示が出され、後に緊急時避難準備区域に指定され、多くの住民は原発30キロ圏外や他県に避難した。しかし、佐々木さんは一度も避難せず自宅での生活を続けている。
大震災から6日後の同17日のブログでは「いまやわが家の周囲は音もなく無人の境と化している」と報告した。以後、震災前から続けるブログ「モノディアロゴス」で毎日のようにエッセーを発信。機械的に線引きされた政府の避難指示で南相馬より放射線量の高い地域への避難が行われたり、移動のたらい回しで病人や高齢者の死者が出ていることなどを伝えてきた。
自宅にとどまる判断について、佐々木さんは認知症の妻美子さんがいたことに加え、「ジタバタするのでなく、とにかく命を懸けて生きることを考えた」と振り返る。避難や放射能被害についてさまざまな情報が飛び交う中、「自分の目で見、自分の頭で考え、自分の心で感じる」ことの大切さを訴え続けてきた。
ブログには帯広で過ごした幼少期の出来事や、今も十勝に暮らす親戚らも登場する。経済的格差をテーマにした今年10月のブログでは、「現在の貧しさは構造的な貧しさで、かつてのような貧しさの中の豊かさは望むべくもない」と、納豆を売り歩いた帯広時代の思い出をつづっている。
満州引き揚げの経験から、「国は国民を守らないということが私の原体験」と佐々木さん。そして、国のエネルギー政策の結果の原発事故に「国家にはいつも生きている人間の顔は見えない」と憤る。
震災を機に社会のつながりのもろさが露呈したと指摘し、「庶民的な立場から国というものをもう一度、考え直さないと。若い人たちにぜひ本当の『くに』を新たにつくってほしい」と願っている。(小林祐己)
ブログとして現在も更新中。2011年の大震災直後から同年7月までの84編は単行本「原発禍を生きる」(論創社)として出版され、スペイン語、中国語、朝鮮語にも翻訳された。10年8月以降、5年間のブログ閲覧者は延べ51万人に上る。アドレスはhttp://monodialogos.fuji-teivo.com/ 佐々木さんが登場する映像作品も見られる。
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・東日本大震災から5年 帯広出身、南相馬の佐々木さんに聞く-十勝毎日新聞電子版(2015/12/11)