「ここでも戦争があったと知って」 帯広空襲80年、あす「語る会」
1945年7月14、15日に米軍機が十勝に飛来し、空襲で多くの住民が犠牲となってから80年。帯広空襲を語る会(事務局長・青柳雅哉さん)は13日午前10時から、「第44回語る会」をよつ葉アリーナ十勝の「帯広空襲の碑」前(市大通北1)で開く。帯広から平和の尊さと戦争の現実を伝えてきた同会。青柳さん(61)は「活動を通じ、平和が続くことを望む人が増えていけば」と話している。
帯広空襲は1945年7月14、15日、飛来した米軍機が日本軍の飛行場や駅、住宅地を爆撃して機銃掃射。15日には碑の建つ場所を中心に、大通南1から西1南1周辺が主に被害を受けた。現在死者は6人とされ、家屋の被害は130軒に上るという証言もある。
同会は、教員がつづる北海道空襲の記録集「ハマナスのかげで」(北書房)の刊行をきっかけに発足した。執筆に加わった元高校教員の吉澤澄子さん(92)と調査に協力した被災家族28人が82年7月、第1回の「語る会」を開催。憲兵の口封じで体験を内に秘めていた参加者はせきを切ったように語り始め、泣き出す人もいた。
85年8月には市総合体育館(現よつ葉アリーナ十勝)の敷地内に「帯広空襲の碑」を建立。市の史跡として市教育委員会に寄贈した。ただ「墓ではないので人名は入れないでほしいと言われてしまった」と吉澤さんは悔やむ。それでも青柳さんは「ここにあるからこそ(13日に開く)語る会の臨場感につながり、人の目にも触れ空襲を考えるきっかけになる」と意義を語る。
同年11月には、証言集も発刊。以後、本別や根室の空襲、引き揚げやシベリア抑留、戦時中の暮らしなどへ内容を広げながら、2020年には第5集を数えた。21年に市などが企画したDVD「帯広空襲体験談」の制作にも協力。企画展開催のほか、小学校や高校で講義を行うなど、管内の人々に平和の尊さを伝えている。
当時を知る人が亡くなったり、高齢者施設に入ったりして戦時中の証言を聞くことが難しくなっている。それでも活動を続けてきたからこそ、当時を語りにきてくれる人もいる。
13日の「帯広空襲を語る会」では新たに知己を得た帯広空襲の経験者光地陽子さん(84)=札幌市在住=が訪れ、吉澤さんとともに当時を語る。午後1時から記念碑の南側の状況を解説するガイドツアーも初実施する。青柳さんは「経験者の生の声を聞いて戦禍の現地を見て回り、ここでも戦争があったことを感じてほしい」と話す。
会費500円。午前10時受け付け開始。出入り自由。問い合わせは青柳さん(090・5070・5728、平日は夜に対応)へ。(高井翔太)