高倉健さん死去、十勝でも悼む声
高倉健さんは、代表作の「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年、山田洋次監督)など、映画の撮影などで何度か十勝を訪れている。日本を代表するスターの突然の訃報に、当時をよく知る管内の関係者も衝撃を受けた。
「幸福の黄色いハンカチ」のロケが行われた陸別町で当時、町の広報を担当していた佐久間幹夫さん(71)は「健さんがそれまでの任侠(にんきょう)ものから新しい俳優像を確立した映画。寡黙な人だったが、ロケの最中も独特の存在感があってオーラが出ていた。それから大ファンになり、全ての映画を見た。これからも見たかった。残念です」と語った。
高倉さんがロケで1週間滞在した浜田旅館の浜田始さん(64)は「朝夜の食事では、箸を指に挟んで『いただきます』と礼儀正しかったのが印象的。映画会社が勧めた個室での食事を断り、大食堂でスタッフや他の俳優さんと一緒に食べるなど謙虚で気配りができる人だった。夕方には毎日ランニングで体を鍛えるなどすごい人だった。機会があれば、もう一度お会いしたかった」と話した。
高倉さんは2012年6月、大樹町内でテレビCMの撮影に臨んだことがある。当時、撮影現場の設営に携わった町内の建設土木業「松本工業」社長の松本敏光さん(62)は、撮影に臨む高倉さんを間近で目にした。「現場を下支えする人みんなに『お疲れさま』と声を掛け、気配りする人だった。撮影後には周りの人との記念撮影に気さくに応じてくれ、笑顔で肩まで組んでくれた」と当時を思い出す。
撮影現場に居合わせた酒森正人副町長(55)は「撮影現場に入ると近寄りがたいオーラがあり、仕事に携わる緊張感が漂っていた。80歳を超えていたとは思えないほど、りんとした姿だった」と振り返り、「まだまだ映画界で活躍してほしかった」と残念がった。
1970年に公開され、帯広市でロケが行われた「日本女侠伝-真赤な度胸花」に出演した高倉さんは、音更町十勝川温泉の観月苑に宿泊した。同ホテルの作田和昌会長(72)は「他のスタッフが帯広の夜の街へ繰り出しても、高倉さんは宿から出ることはなかった。お酒が飲めない高倉さんに、ファンだった女性従業員が毎朝、緊張しながらコーヒーをポットに入れて渡していたのを覚えている」と振り返り、「勲章までもらった大スターを失うのは残念だ」と肩を落とした。(鈴木裕之、関根弘貴、酒井花)